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「経験」と「想像力」

 経済アナリストの森永卓郎氏による文部科学省への批判が話題になっている。

 森永氏は、「教員不足問題」を含めた文部科学省の施策全般を批判した上で、
「(文部科学省の官僚は)現場に行け! 2年でも3年でもいいから現場で教えてみろ」
 と、喝破しているのだ。

 こうした森永氏の発言に留飲を下げている学校関係者も少なくないことだろう。しかし、
「(文部科学省の官僚は)現場に行け! 2年でも3年でもいいから現場で教えてみろ」
 という最後の部分に関して、私は賛成ではない。

 たしかに、学校現場に足を運ぶことによって見えてくる本質的な問題はあるだろう。けれども、こうした「経験至上主義」には危険な一面もあると感じている。

 ・・・ときどき、教員に対する批判的な言説として、
「学校の先生の大部分は民間企業で働いた経験がないから、社会的な常識が欠けている」
「子育てをしたことのない教員には、親の気持ちなんてわからない」
 といったことを聞くことがある。

 だが、たとえ直接的な経験はないとしても、読書や対話などによって得た知識や、他の経験から類推したりすることにより、それを補うことは可能なはずだ。

 具体的にいえば、子ども時代に「いじめられた経験」がないとしても、「いじめられている子どもの気持ち」を想像できることが教員には必要なのである。

 本当に必要なのは、「経験」よりも「想像力」なのだと思うのだ。


 同じ時期に、こんなニュースが報じられた。

 今年1月の能登半島地震を受けて、
「文部科学省は被災地の子どもたちの学びの継続や学校の早期再開にむけた支援にあたるため、被災地外から迅速に教職員などを派遣できるよう、新たな枠組みを設けて平時から取り組みを始めることになりました」
 という内容である。

 内容そのものは大切なことだと思う。しかし、最近の深刻な教員不足により、欠員が常態化じている学校が増えている。文部科学省の関係者も、そうした危機的な状況については百も承知なはずだ。

 そんな中でこのニュースを聞いたとき、
「自分の学校のことだけで精一杯なのに、どうやって被災地の支援をしろと言うのか?」
 というのが教員の一般的な感想ではないだろうか。

 やはり、必要なのは「経験」ではなく「想像力」なのだと思う。

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