見出し画像

「アクション・リサーチ型」の校内研究(下)

(前回のつづき)

 6年のIK教諭と3年のIH教諭については、それぞれが5校時に行った公開授業を踏まえての発表だった(授業は半分ずつしか見られなかったので、内容の一部には私の誤解があるかもしれないということを予めお断りしておく)。

②6年2組・IK教諭の探究

・探究の内容は、
『社会の授業をみんなで考えようの会』〜歴史を知るは未来を知る〜
 である。IK教諭自身の「社会科の授業が好き」「特に、6年生の歴史の授業が好き」という思いがあふれた授業と発表だったと思う。

・とかく小学6年生の歴史学習は、「内容が盛りだくさん」であるため、「説明過多になりがち」だといわれる。それを解消しようと、IK教諭は年間を通して子どもたち一人ひとりに歴史上の人物の役を割り当て、授業の中でその人物を演じさせることに重点を置く授業スタイルを確立している。

・今回の授業では、資料である「日清戦争の風刺画」に描かれた日本・中国・ロシアの各国の人物を演じるという活動が取り入れられていた。

・こうした活動によって、「歴史を『自分事』としてとらえさせる」「歴史上の人物の思考や感情を想像させる」「多面的なものの見方・考え方を身につけさせる」ということに成功していると思われる。

・「歴史上の人物を演じさせる」という活動には、「国語の物語文における『役割読み』」や「道徳における『動作化』」との類似点や相違点があることだろう。こうした「人物になってみる活動」と「子どもの認知」との関係を科学的に探究してみたら面白そうである。

・「授業後、子どもたちがノートに手書きで振り返りをまとめる」→「自分のノートを『1人1台端末』のカメラで撮影し、画像データを『ロイロノートスクール』で共有する」→「ノートの画像データに担任がデジタル・ツールでコメントなどを書き込む」→「次時の授業の冒頭で、その一部を紹介する」というかたちで、デジタルとアナログが上手く融合されていた。

・歴史上の人物を演じることに時間を使う分、「1枚の資料から情報を読みとる時間」や「子ども同士で対話や討論をする時間」が削られることになってしまうのは悩ましいところである。

・在籍25名のクラスだが、そのうちの約4分の1は私立中学の受験準備のためか不在だった。これはH小学校にかぎらず、都市部の小学校では当たり前の光景になっており、「1月になると、6年生の教室にいるのは半数以下」というケースも珍しくない。「小学校第6学年の1月の教育課程をどうするか」という問題については、もっと議論をしていく必要があるだろう。

・探究のテーマに掲げられていた「歴史を知るは未来を知る」は、子どもたちにとって大切な言葉だが、国内外の政治家にこそ意識してほしいものでもある。

③3年1組・IH教諭の探究

・探究の内容は、
『テーマプロジェクトとマイプロジェクトの往還と興味の複合』〜クラスでの探究、個での探究、その揺らぎ〜
 である。「一斉型の学び」と「個別型の学び」の「複合」や「往還」について探究をしていこうとするものだ。

・ちなみに、前回の記事で紹介したMK校長の探究『釣りとけん玉と学校経営』にも、この3つの探究の「複合」や「往還」があるといえるだろう。

・IH教諭の専門教科は体育科だが、生活科や「総合的な学習の時間」(以下、「総合」)でも、スポーツ、地域振興、食、生き物、プログラミングをはじめとする様々な分野で(時には複数の分野を組み合わせながら)ユニークな実践を積み重ねてきている。

・IH教諭は同校に10年以上勤務しており、地域の関係者や保護者との信頼関係を構築し、まちにある教育資源(ひと・もの・こと)のことを熟知している。それが子どもたちの探究活動の充実につながっているのだろう。

・しかしながら、自らの生活科や「総合」の実践を振り返ったときに、「これでよかったのか?」「活動に『乗れない子』がいたのではないか?」という疑問を抱き、かつての教え子(卒業生)たちに対してインタビューを試みた。そうやって自身の実践を相対化し、その振り返りを今回の活動に生かしている。

・生活科や「総合」では、子どもの主体性が重視されているものの、実際には課題の設定や活動に際して「(活動の)種まき」や「仕掛け」と呼ばれる教師の介入が一般的だったり、ときには恣意的な働きかけが見られたりする。それがIH教諭にとっての「もやもや」になり、「活動に『乗れない子』がいたのではないか?」という内省につながったのではないだろうか。

・子どもたちは、3年生になってから「図工で粘土を使って活動した」という共通体験をもっている。その後、校内の焼き窯庫で焼き窯や陶芸の作品を眺めるなかで「焼き物」への興味・関心を深めていった。

・そのなかで、かつて地元では実際に焼き物が行われていたという情報にたどりつき、そこから「信楽粘土で焼き物を作る経験」や「焼き物についての調べ学習」を経て、今回の「オリジナルの焼き物をつくって地元のまちを盛り上げたい」という課題にたどり着いている。

・無論、その過程で「種まき」や「仕掛け」がなかったわけではないだろうが、子どもたちのなかから課題や具体的な活動が生まれてくるように、十分な時間をかけていたということが伺える。

・「日本を代表する産業や文化としての焼き物」「陶芸に使える良質な土の枯渇」など、歴史、国際理解、環境問題などへの発展性をもったテーマであるといえる。

・一方、地域の「焼き物」関係者の立場で考えると、「これが『3年1組』の取組として一過性のもので終わってしまうのではないか」という懸念があると思われる。これは今回の活動にかぎらず、「学級総合」が抱える課題の一つだろう。

・機会があれば、今回の「焼き物」の活動に「乗れない子」はいなかったのか、ということをIH教諭に訊いてみたいと思う(個人的には、どんな活動であっても「乗れない子」はいるのだろうと思っている)。

・マクロな視点で見れば、「3年1組の担任としてのIH教諭の探究」と「H小学校の研究主任としてのIH教諭の探究」が、本人のなかで「複合」や「往還」をしているのだろうという印象を受けた。


 ・・・今回は市外の学校からも多くの参加者があった。そのなかには、自校の校内研究に行き詰まりを感じて、それを打開するためのヒントを求めてH小学校を訪れたという人も少なくなかったことだろう。

 しかし、H小学校のスタイルを形だけ真似しても、大きな効果は期待できないのではないかと思われる。

 H小学校の取組には、それを支える、
・校長のリーダーシップ(トップダウン型ではなく、支援型・分散型のリーダーシップ)
・取組を推進するミドル・リーダーの存在
・教職員によるビジョンの共有と、それに基づく参画意識
・職場内の心理的安全性
 などの条件が整っている(というよりも、試行錯誤や対話などを経て条件を整えてきたはずだ)。それは一朝一夕に真似できることではないだろう。

 その一方で、従来型の「全員が共通の教科・領域を研究する『仮説検証型』の校内研究」であっても、上述したような条件を備えているならば、H小学校のような取組に近づけていくことは可能だろうと思う。

 ・・・研究主任のIH教諭は、自身の探究活動についてまとめた資料のなかで、次のように述べている。

最近、「集団での一斉型の学び」、「個別型の学び」を相対するものとして「形」だけ捉えて、それぞれの学びの在り方を批判する場面をよく研究会などで目の当たりにします。大事なのは学習形態という「形」ではなく、その内側の子どもの「内実」であると考えてみると、もう少しお互いの良さや課題が見えてくるのではないでしょうか。

「子ども」を「教職員」に置き換えれば、そのまま各学校の校内研究にも当てはまることだろう。

 ・・・今後もH小学校の校内研究に注目をしていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!