「あさま山荘事件」と「大学入学共通テスト」の関係
今日(1月18日)から2日間、全国各地の会場で「大学入学共通テスト」が実施される。
1990年から2020年までは「大学入試センター試験」と呼ばれていたから、「センター試験」という名称のほうが馴染みがあるという人も多いことだろう。
さらに遡ると、1979年から1989年までは「大学共通第1次学力試験」、通称「共通一次」と呼ばれていた。
私は1979年にこの試験を受験しているから、いわば「『共通一次』1期生」である。
当時の「共通一次」は、国公立大学の志願者のみを対象に実施されていた。それまでの国公立大学の入試は、各大学が個々に行う試験のみで選抜していたから、
「全国一律の『共通一次』」
「その結果+大学ごとの二次試験」
というシステムに大きく変わったことになる。
また、それまでの国立大学は、3月上旬の同一日に入試を行う「一期校」と、「一期校」が合格発表をした後の同一日に試験をする「二期校」に分けられていた。
東大や京大をはじめとする旧帝国大学系の大学、そして一橋大や東工大(当時)などの旧制大学系の大学を中心とする「一期校」に合格できなかった受験生が、「二期校」に出願するというシステムだったのだ。
しかし、「共通一次」の実施に合わせてこの制度は廃止され、すべての国立大学が同一日に入試を実施する方式に改められた。
その背景には、1972年(昭和47年)2月に発生した「あさま山荘事件」があったといわれている。
この事件を起こした連合赤軍のメンバーの多くが、横浜国立大学を中心とする当時の「二期校」の学生たちだったのだ。
この「あさま山荘事件」のことは国会でも取り上げられ、参考人として出席した横浜国大の当時の学長が、
「横浜国立大学に過激派が多い原因は、強いて言えば二期校コンプレックスである」
と述べたことが、文部行政を大きく動かすことになる。
「二期校コンプレックスが学園紛争につながり、連合赤軍のような問題を起こすまでになっていると言われているため、文部行政として一期校と二期校という問題を解決する必要がある」
ということで、
「国立大学の入試は、1回の共通テストで行うという形式にすればよいのではないか」
という案がもち上がったのだ。
結局、「全国一律の『共通一次』の後に、その結果を踏まえた大学ごとの二次試験を実施」というかたちに落ち着いたが、「一期校・二期校」の区分は廃止され、国立大学と公立大学(一部を除く)の入試は、3月上旬の同一日に行われることになった。
実質的に、国公立大学を受験するチャンスは「1人1回」に限られることになったのである。
その後、各大学が定員を前期と後期に分けて入試を実施する「前後期制」が採用されたり、私立大学も「センター試験」を利用するようになったりと、紆余曲折を経て現在の「共通テスト」に至っている。
「『二期校コンプレックス』と『あさま山荘事件』には、本当に因果関係があったのか?」
「『一期校・二期校』の廃止によって、学生のコンプレックスは解消されたのか?」
等々、ツッコミどころは多い。
しかしながら、
「『あさま山荘事件』があったから、今の『大学入学共通テスト』がある」
というのは事実なのである。
まるで、
「風が吹けば桶屋が儲かる」
のような話だが、本当のことなのだ。
その経緯はともかくとして、今日と明日の「大学入学共通テスト」は、受験生たちにとっての一大イベントである。
無論、大学入試によって人生が決まるわけではない。一生を42.195kmのマラソンにたとえれば、「大学入学共通テスト」は10km地点あたりだろう。
けれども、大学では「何を学ぶか」とともに「どこで学ぶか」「誰と学ぶか」ということも大切である。今回のテストの結果次第で、選択肢が増えることは間違いない。
受験生たちの健闘を祈りたい。