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小さく残す日本文化#未来のためにできること
会津若松でどのお店にもあった赤べこ、起き上がり小法師。
金沢観光中に見た金色の福助。
川崎大師の参道で売ってるだるまたち。
旅先で見かける郷土玩具に心躍る。
アナログからデジタルへ、モノからコトへ社会が進む中、郷土玩具たちは100年後、生き残れるのだろうか。
もとはお土産としての役割が大きかった郷土玩具、今はどのぐらい存在して、どのぐらいの購入者がいるのか。
先日、浅草のほおずき市のついでに立ち寄った仲見世通りで見かけるお土産は、キャラクターグッズが多く、意外と、もうすでに郷土玩具の生存に関わる過渡期はきているのかもしれない。
郷土玩具好きな私は見つけたら興奮するも、都内住宅スペースの関係で買うは躊躇してしまう。
コレクションしたい気持ちはあるのに買えない事情がスペース問題なら、小さくしてしまえばいい。日本人、「小さきものは、みなうつくし」と昔から言っているのでDNAレベルでミニチュア好きだし、だから近年ガチャポンブームだと思うし。
そこで、私は郷土玩具を小さくした。
指乗り郷土玩具と名付けた。
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デジタル化がどんなに進んでも、人のコレクション癖はなくならないと私は睨んでいる。
便利や合理的だけで日常を過ごせるほど、人の心は単純ではない。
生活に不必要なものが日常を豊かにある。何コレ?を買いたくなる。
何コレの宝庫が郷土玩具。
現在の発想では思いつかないネタの宝庫でもあります。猫に蛸がへばりついてる山形の郷土玩具「猫に多幸(ねこにたこ)」、高知の「土佐のつればり人形」は連れション女性3人組で後ろから見るといろいろ丸見えなデザイン。なかなか思いつかないでしょ。1つ1つに歴史や伝承がある奥深さも魅力。
日本人なら、どことなく見聞きしていることも
「赤べこ知ってる?」と聞いてみよう。ほとんどの人が何となくは知っているはず。
今、0歳の子たちが大人になったときにこの会話ができる未来のために、今日も私は指乗り郷土玩具を作る。
いつか郷土玩具たちが感謝してお米とか野菜もってこないかな(傘貸し地蔵のイメージ)。