言葉ことはじめ

文体、というものに迷っています。

迷っていることを正直に書いてしまえば、何か示唆が得られるかもしれないという試みです。じゃあ今書いているこの文体は何なのかといえば、たまに読みに行くブログ記事の文体から影響を受けたもので、品のない言葉ではあるけれど、「パクリ」と言われればそうねと答えざるをえないものです。

人の真似をしないと表現ができないのだから、「言葉」の分野では私は、まだ自分というものを持っていないのでしょう。

ああ、Twitterは別よ。あれはだって「つぶやき」だもの。人に伝えるために、ある概念を切り分けて、順序だてて繋ぎ合わせ、ひとつの記事を作るのとは、まったく機序の異なる活動です。

迷ったままなので、この話もどこに着地させるべきか分からない。正直、この文体を真似してみたかっただけかもしれません。

そうやって「真似してみたいだけ」で書き出して、Wordの1ページも埋まらずに放ったらかしにされた文書が、歴代のパソコンにはまるで棺桶の中の死人のように寝かされている。そもそも魂の無いまま体だけを形作ろうとしたので、死んで棺桶に入ったのではなく、母の胎で生まれる前に命を終えたのが正しいでしょう。

読んでくださる方の中には、迷ったままでもいいじゃないかと言う人もいるかもしれないが、私は今困っている。何に困っているかと言えば、私は自分の中にあるものを自分のものとして表現したいので、そのためには借り物の言葉ではいけないのです。

如何せん自我の強いタチで、表現するものについても「自分」の純度を高くしたいという欲求がある。

ただ、真似というのは何かを習得するためには必要な段階で、子が親の真似をすることで成長することも、武道の稽古でまず型を繰り返すことも、先人の知恵を自身にダウンロードするためのもので、この営みを経ない人間など存在しない。

それを「自分のもの」にするのは、型稽古をやりきってそこから離れる段階の話です。

となれば私は、今まで文章を書くにあたり、型をダウンロードする機会からして、そう多く持ってきませんでした。Word1枚にも満たず投げ出す程度の機会を散らかしただけと思えば、これはまったく、困った。ゆゆしきこと。

さて、では、どうオチを付けるのがいいかな。

皆さん、もしよろしければ、おすすめの文体の書籍を紹介していただけますか。もしくは、「私はこの人の文体に影響を受けた」という体験談を聞かせてください。

絵の分野でならいくらでもそんな話をしてきたけれど、考えてみれば言葉の分野でそんな話をしたことは無かった。

皆さんの、「言葉ことはじめ」を、知りたいです。

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