立花氏の持論や斎藤元兵庫県知事について
自分は、立花氏の強引な解釈による、自決者が業務用に使用していたパソコンのプライベート情報に不倫の証拠の疑惑がある、のような勝手な憶測による決めつけがどうも気に入らなかった。
その勝手に告発者を特定して、パソコンを押収、その中にある文章を基にして協力者らしき女性職員も結果的に自己退職しているといった話など、どうも如何わしさを感じていた。
百条委員会ではプライベートなものは開示できないとしてるが、後ろめたいものが無いなら全て公開できるはず、とするのが斉藤元兵庫県知事の擁護者の持論であり、出せないものを出せと詰め寄るやり方が立花氏が思いついた手法だと感づいた。
マスメディア各社に、その持論を語る立花氏自身の疑惑の告発文が送られたみたいだが、そのやり方が公益通報の真似事をしている、自分にはそう見えた。これは目には目を、歯には歯をのやり方で、同じやり方で世論等を覆そうとしている。まるでマスコミがやっている同じ事を自分達もやってるだけだと言っているかのように、規模や情報は小さいが真似をして反発している、そう見えた。
無いものを想像で陰謀論にして敵対勢力を責めるやり方は、Qアノン等のカルト、トランプ共和党、その支持カルトや支持メディアのやり方と同じ。
隠すと言うことは、何か後ろめたいことがあるから、とする持論による世論形成。
しかし実際見せられない、出せないものだと解っているからこそ強気になって責める事ができる。プライベートの事柄と言っても様々で、家族とのメールのやり取りや、友人知人などとの交流、その写真や動画など、自身が大切にしているものを見世物になどしたくないとする気持ちは誰もが持っている当たり前の感情であり「それをなぜ隠す、後ろめたい事があるから隠してる、それほど隠したいものは不倫等に関する女性がらみのスキャンダラスで赤裸々なものだろう」とする、勝手な決めつけ。
しかし公務用のパソコンは行政の所有物で、定期的なメンテナンス等が行われるためにプライベートなものでも、それほどまでに人目に触れてはいけない内容など入れてはいないはずであり、だとするならやはり、晒し者にしたくない自身が大切にする何か、とその心の内を推理する事ができる。
確かに斎藤氏が20メートルを歩かされ文句を言った、付箋を投げつけて恫喝したなど、いくつかのパワハラと思わしき行動、言動をしていたとするのは事実であり、当初はそのような事はないと言っていたが、後にそれはあったと本人が認めている。
告発者が自決したのは、百条委員会とは関係のない所で斎藤氏側がパソコンを押収した後であり、自決の原因があるとするなら、その時からの何かとなる。
そのパソコン内にあった文書等を使い更に恫喝、パワハラを行い精神的に追い詰めた、自分はそう推理する。でなければ証人として出席するはずだった百条委員会を最後までやり遂げてほしいとする言葉を残して自決するなど、よほどの事があったから。不倫等の証拠があったとして、それが知られてるとするなら証人として堂々と出ようとするわけがないし、不倫だけで自決するなど考えられない。
様々な噂があるみたいだが、その噂が事実かどうかも解らないし、その噂自体斎藤氏を擁護する維新の会の者が広めてる、おそらくこうだろうとする、虚偽の噂である可能性もある。いずれにせよ、立花氏が言うような不倫の被害者がいるとするなら、その被害者が名乗りをあげるはず。それでも虚偽の証言をする人物を用意する可能性も捨てきれるわけではない。
とする考えで、自分は斎藤元知事を黒と判断していたが、その情報を探す中で、それに関する持論を話す、17歳の少年の動画を何の気なしに見てみた。
自分は極右的な思想はあまり好まない、だから石丸氏に関するマスメディア偏向報道陰謀説なども賛同はしていないし、その方向性の陰謀論は思想主義による引き込み、洗脳やマインドコントロールだと認識してるので決して信じたりはしない。しかしこの少年の動画の話は、とても参考になった。かなり面白くて笑ってしまったが、何か、自分自身ハッとさせられるものがあったのは間違いない。
そう、この少年の言う通り、全部が悪い、まったくその通りだと思った。この17歳が信じている情報源が信用できるものだとは、自分は思ってない。でも、この少年の優しくて純粋な心は信用できると思った。
だから若者は素晴らしい、たまに大切な何かに気がつかせてくれる。それはまだ子供の頃からある、純粋なものが残っているから、だから心に響く。
そう、我々は何が大切なのか忘れている、こんな純粋な若者の心を守らなきゃいけない。だから我々大人がちゃんとして、しっかりしてなきゃいけないし、彼等を誤った方向へ行かせてはいけない。
俺は、こんな若者よりも心がまだまだ、そう思った。こんな汚れなき心、純粋な頃の自分を忘れていた気がする。
守らなきゃいけないんだ大人が、その若者達の心を。ちゃんとしたこと言わなきゃ、もっとしっかりした事を。自我とか、承認欲求とかじゃないちゃんとしたこと。
隠したり騙したり嘘ついたり、お金だけのために何かをしたり、誰かを洗脳したり操ったり支配したり、そんなことしちゃいけないと思った。全部が悪いんだ、そう全部悪い。
道徳心ある大人として、大切な若者達の未来のために、この世界が少しでも良くなるように、ちゃんとしたこと言わないと、ちゃんと生きないといけない、人間として、大人として、しっかりと前を見て、真実を見極めて。
自分と相反する人達をこけ下ろそうとか、論破してマウントに立とうとか、そんなもの全部いらなかった。
重要なのは基本に愛があるかどうか。
笑って生きること、少なくとも、この動画の少年は自分を笑わせてくれた、とても幸せな気分をくれた。だから立花氏より、斎藤氏より、マスコミの言論人や左右の思想主義者、政治論者や陰謀論者よりも遥かにその優しい心を感じた、だからこの少年は信用できると思った。
政治とは、未来を担う子供達や、こんな若者が将来幸せに生きられる国を作るために行われるもの、そうでなくてはいけないし、そうあってほしい、そう自分は願う。
必ずしもお金なんかじゃない、人気やステータスでもない、一番大事なのは人の心。
だから立花氏や斎藤氏について話すのは、これで最初で最後、終わりにする。
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