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この世の生命は既に全てを知っている、それを音、振動、言葉によって表現する。それが本能
何のために人気を欲しがる、何のために承認欲求を欲しがる、何のためにエコーチェンバーを欲し、何のために思想主義に没頭し、何のためにカルト集団に属したがる。何故人は必ず個人崇拝をしたがるのか。
そんな個人崇拝がまかり通るから、神だけを信じよとする信仰があった。人間など拝むなと、人間が作った偶像崇拝など行うなと、人間の支配者など拝むなと、そうイエスキリストも言い続けた。
人間など拝んでも無意味だと、他者を拝むぐらいなら己が自らの心を磨き深く悟れと、釈迦もそれを諭していた。
人間などすぐに裏切るし嘘をつき欺き騙す生き物、それをサトゥルヌスは知っていた。だから人間など信じるなと、その邪な気持ちを知れと教えてくれた。
無意味なんだよ、人間など信じ拝むなど、人間など拝んでも魂が救われる事もないし、罪が消えることもない。絶対に消えない罪は悔い改めるしかできないもの。
はっきり言うと、自分は全ての人をリスペクトしないし、どんな話をしても驚きもなければ、それを凄いと認識することもない。神秘的な話は個人的見解が多く入るし、科学的、数学的なものは話が無駄に難しくて聞いていて面白くもない。
どんな物事も、それを認めろとする人間の承認欲求が絡んでくる、だからそれがうざったい。うざったいからリスペクトなどしないし、この世の中にある、ありとあらゆる全ての思想主義に属すことはないし、それだけを絶対とすることはない。
発明とは辻褄合わせであり、これがこうであるから、こうなるんだとする積み重ね。それは想像で描いたロボットの内部構造と同じで、実際にそれを作るから科学が成り立つし、何とか作ろうとするから発展する。
例えば、インターホンを作った人は凄いかもしれないが、訪問時にドアをノックすればインターホンなど必要ない。アナログのサイコロがあればデジタルのサイコロはいらない。
ガスコンロでお湯を沸かせば、湯沸し器など必要ないし、もっと言えば庭先で火を起こせばガスコンロも必要ない。便利か不便かは、その行為が面倒くさいか、そうでないかにもよる。
昔はテレビを見ていたが、今はまったく見ない状態で、生活必需品と思わされていたテレビが、実はまったく必要のないものだと知ったのはテレビを見ない生活になってから。
家具だって作ろうと思えば何でも作れるし、科学も数学も勉強などしなくても宇宙を覚ることはできる、いやむしろ自力で思い出すことができる。植物や動物、生命の本能として備わってる自然なる現象は元から知っていること、だから全ての生命は既に宇宙とは何かを知っている。それが解らないように思ってるのは、それを表現する術、言葉を知らないからと、思いつかないから。
世界は言葉によって解明され、その言葉を生み出せば新たに宇宙の真実を表現する事ができる。予め知っているから表現ができる。我々生命、人類は解らないのではなく、それを表す言葉を知らないだけ、それを表現する術を思い浮かばないだけ。世界は言葉によって創造されてきた、それが既に知っている事を表現する術、思い出す行為だった。
火を点ける道具、とする言葉があるから、火を点ける道具を発明した。動く絵とする言葉を知ったからアニメーションが創られた。
赤ん坊が泣くのは、表現であり、それが意思表示であり泣いて気がつかせるとする、既に知っていることの表現方法。だからこそそれが音であり世界を創造する言葉となる。
自分がここに書いている内容も全て思い出した事なので、これは既に知っている事を表現するための言葉、音そのものとなる。
忘れた事を思い出すために感覚的なものがあるし、目に見えない次元、周波数を感じ取らないと思い出すことはできない。物質的な価値観の中で生きるなら、思い出したいことを表現する方法は科学や数式とする固定概念にとらわれ、対称としてある感覚的なもの、直感等をそれは科学でも計算式でもないと、全否定するようになってしまう。
誰でもこの世の全てを表現できる。思い出すために言葉を覚え、自分が知っていることの表現方法を新たに発明する。それが進化であり魂の成長でありこの世の真理を知ること。
自分の体をつねり、それが痛いとする感覚は既に知ってるからあるもので、それ自体、その現象と感覚自体が最初からある言葉となっている。だから言葉を作ることは忘れていた何かを思い出すため、その忘れていた何かを実現させることでもある。
心の動き、自然発生的に起こった魂の揺らぎ、激しい心の振動は、忘れていた事を思い出した時の「君の名」、である。
だから自分は「君の名」、を思い出すために、ただひたすら言葉を綴り続ける、思い出したことを一心不乱に表現するために、ただひたすら、誰にどう思われようが関係なく、たった1人孤独でも言葉を生み出し続ける。全てを表現して形とし、幻想のような奇跡を真実とする目の前の現実に引き戻すために。
誰にも恥ずかしいとする気持ちなど微塵もない、誰にも引け目もなければ遠慮もない。自分は1人、家族もいない、兄妹は自分とはもう関係しない、親族も、群れて属す者達の中に自分は存在しない。
だから自分はこの世界でたった1人、思い出した事をひたすら言葉として綴り続ける。大切な、忘れられない、忘れてはいけない、思い出さなければならない全てのために。