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落下する夕方【ネタバレあり】

2022年になってから小説を読み始めました。

最初に読んだ本は、江國香織さんの「ホリー・ガーデン」、その世界にどっぷり浸かり、その勢いのままに「落下する夕方」を読みました。


読み終えて思ったことは『わからぬ!?』

華子の自死が衝撃的で、驚きと『なぜ?』という疑問が強烈にのこり、頭の中のスペースに「落下する夕方」の世界が残り続けました。


いてもたってもいられず、2週目を読みました。2週目を読み終えて思ったことは『さらにわからぬ!?』

物語は終始梨果の視点から描かれており、その梨果は痛烈な失恋をして冷静とは言えない心理状態にあるように思えました。そのような状態の梨果の視点から見聞きしたすべてが、物語を読む立場の私を現実と幻想の区別がつかないような感覚にさせたのかもしれません。

そのため『さらにわからぬ!?』が深まってしまいました。

そのような感覚で読みましたが、妙に気になったのは、梨果が歌う鼻歌(特に3回ほど歌われる「キツネ狩りの歌」)、華子の「私は雄シカになりたかった。」という言葉でした。

ほかには、あざみの花の色のエナメル(あざみの花の花言葉は「報復」「厳格」)、華子の持ち物のプルーストの本(プルースト効果というものを初めて知りました。においと記憶が結びつく効果。思えばホリー・ガーデンもいろんな香り(におい)にあふれていました。)、ヘチマコロンの匂い(実際に買ってみましたが、爽やかだけど奥にエタノールの香り。)、読めば読むほど物語の奥に広がる世界に引き込まれてしまいました。

しかし、やはり『さらにわからぬ!?』ので、気分を改めるために江國香織さんの最初の作品「つめたいよるに」を読むことにしました。

「つめたいよるに」の最初に書かれている短編、愛犬を亡くした女性の話「デューク」は有名らしく、実際読んでいい話だと思いました・・・。

それでも「落下した夕方」が私の心の中に残り続け、「つめたいよるに」の世界に入り込むことはできませんでした。

愛犬・・・

忠犬・・・

忠犬さと公(「ホリー・ガーデン」の登場人物「中野くん」の渾名)・・・

ハナコ(いかにも犬の名前にありそうな名前)・・・

キツネ狩り、狩猟犬・・・

部屋では寝てばかりいる華子・・・

健吾のいびきがうるさくて眠れない華子・・・

雄シカになりたかったと言う華子(狩猟犬と対照的に、自然の中を自由に生きる雄シカ)・・・

すべてから逃げたいと言う華子・・・

個人的なこじつけですが、なぜかつながってしまいました。


そんなことを考えましたが、『わからぬ!?』に変わりないので、けりをつけるために3週目を読みました。

たしかに華子は犬っぽくもあるけど、なにかが違う・・・。

ただ、考えて、考えて、考えて、考えて。読み終えた時に、『わからぬ!?だがそれでいい』と思えるようになりました。

正直なところ、まだスッキリとはしませんが、きっとまた「落下する夕方」を読むための余韻だと思います。



ところで、「キツネ狩りの歌」は中島みゆきさんの歌で、その歌詞が意味深のため、いろいろな考察がなされているようです。初めて聴いてみましたが、「落下する夕方」と同じように私の頭からなかなか離れてくれません。

「落下する夕方」の中で梨果が鼻歌で歌っている部分は

”キツネ狩りに行くなら気を付けておゆきよ”

”キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら”


までですが、その先の歌詞の一部には

”キツネ狩りにゆくなら酒の支度も忘れず”

”見事手柄を立てたら乾杯もしたくなる”

”ねえ空は晴れた風はおあつらえ”

”仲間たちとグラスをあけたら”

”そいつの顔を見てみよう”

”妙に耳が長くないか 妙にひげは長くないか”

”キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ”

”グラスをあげているのがキツネだったりするから”

”君と駆けた君の仲間は 君の弓で倒れたりするから”

「キツネ狩りの歌」作詞:中島みゆき、さんより


華子と健吾が初めて会ったとき、勝矢を空港に迎えに行ったとき、華子は長い耳を付けていましたね・・・。


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