見出し画像

ラマダン 〜断食は、遠い世界の話じゃなかった〜

ラマダン中のインドネシア人男性

今年のラマダンは4月1日から5月1日なので、本日4月27日はちょうどラマダンの真っ只中です。

イスラム教のラマダンを聞いたことはあるけれど、何かと聞かれたら
「断食するんでしょ、、?」
くらいしか答えられない、、という人も多いと思います。

かく言う私もお恥ずかしながらその一人で。笑

天使ガブリエルが預言者ムハンマドの前に現れコーランの教えを授けたのが、イスラム暦でラマダンと呼ばれる月に起こったので、イスラム教の人たちは祝いのために1ヶ月の断食を行うようになったのが起源のようです。

ちなみに月の満ち欠けに基づいた太陽暦が使用されるため、ラマダンの開始日は毎年変わるそう。

教科書で読んだり聞いたことはあったものの、身近にイスラム教徒もいなかったこともあり、「世界にはそんな風習もあるのね」くらいにしか思っていなかったのですが。

先日友人の集まりがあり、そこにインドネシア人の男性がいました。
ちょうどお昼時だったにも関わらず
「ファスティングしてるから昼食は食べないんだ」
と言う彼。

最近はデトックスだ美容だと、ファスティングという言葉を耳にすることも増えましたから、
「ダイエットでもしているのかな?」
くらいに思っていましたが、よくよく聞くと「ラマダンだから」という理由でした。

「え、ほんとにあるんだ!」
稚拙ながら、最初の感想です、、。

彼はその日、日の出前の明朝3時に起床してご飯を食べ、その後は日没まで食事はもちろん水分もほぼ摂らずに過ごすようです。

実際にラマダンを行っている人がいると、目の前で水を飲むの控えた方がいいかな、と普段使ったことのない気を使ってしまいます。

もちろん何がなんでも飲食禁止!というわけではなく、体調が優れない時は少しお水を飲むこともあるようですが。

子どもは?

断食は子どもには強制されるものではなく、両親の方針にもよるそうですが、大体9歳くらいからゆるく始めるのだそう。

でも、学校に通っている全員がイスラム教徒とは限りません。

「お昼ご飯の時はどうするの?
食べている子がいると、お互い気まずくならないの?」
と聞いてみました。

確かに気を使ってしまうので、お昼を食べる子たちは断食をしている子供とは離れた場所で食べるのだそうです。

そんな話を聞いていると、
「もし経験なイスラム教徒のお子さんが日本の小学校に通ったらどうなるんだろう?」
と想像してしまいました。

もちろんラマダンは一時期だけのものですし、現在の日本の小学校に通っている経験なイスラム教徒はそれほど多くもないとは思いますが、子どもたちの通っている学校にもヒジャブ(頭と首を覆うスカーフ)を身につけている女の子がいることを思い出しまして。

学校にはアレルギー対応食の希望は出せますが、宗教上の食事の制約については聞いたことがありません。

少し調べたところによると、地方はわかりませんが東京にはイスラム国際学校がいくつかあるようです。
基本は英語で授業が進められるインターナショナルスクールで、もちろん日本語を学ぶことも出来ます。

こういう、そもそものベースがイスラム教の環境ならば安心して通わせられますが、公立小学校ではどうなのでしょう。

ひと昔ならきっと、全員同じように行動することを求められていたと思いますが、かなり柔軟な対応をしてくれている学校も多いようです。

例えばラマダン中は給食時間は別室で過ごしてもらうとか。

他にもイスラム教では、

・偶像崇拝は禁じられているので自画像を描いてはいけない
・宗教上、楽器の演奏や歌うことは出来ない
・女子児童は、男子児童の横に座ってはいけない
・ブルキニという、袖と裾の長い水着を着用する
・体操服も肌の露出を控えるため長袖長ズボン

こういった場面での配慮も必要になるようです。

イスラム教の教えに則り合法とされるものを「ハラール」、反対に非合法とされるものを「ハラーム」と呼ぶそうです。

この考えは食べ物にも当てはまるため、ハラールに則って作られていない給食ではなくお弁当を持参することもあるようです。

知らなかった!!

知ることが理解の第一歩

子どもたちの名簿を見ても、少しずつカタカナ名を目にするようになりました。

日本では日本人がマジョリティなので意識が薄くなりがちですが、例えその社会ではマイノリティでも、一人一人の文化的背景にも配慮していく姿勢はこれから益々大切になっていくだろうと思います。

少子高齢化で若者も減っていく日本は、逆に言うと今後はもっと海外の人たちとの関わりが増えていくでしょう。

本を読んでもなかなか自分事にはなりませんが、クラスメイトや自分の体験をきっかけに子どもたちとも話し合っていこうと、より思えた一件でした。

逆に、
「自分はこうしたい」
ということがあれば、周りの目を気にしてしないのではなく、周りの目は気にせずにする気持ちの持ち様も大切だなと思いました。

伝えること。
そして理解しようとすること。

当たり前ですが、本当に大事ですね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?