【教育観:1】教師のバトン
皆さんは「#教師のバトン」という言葉を聞いたことはありますか?
では教員志望者の数が激減していることはご存じでしょうか?
「教師のバトン」は実際に現場で働く教師がtwitterなどのSNSで教師の思いや良さを発信することで教員志望者の夢の手助けをしたり、教員志望者を増やそうと文科省が呼びかけたプロジェクトです。
しかし、文科省の想像できない結末が待っていました。この教師のバトンはあっという間に「過重労働」や「賃金外労働」などの改善を求める教師たちの悲痛の声で埋め尽くされました。
さらに文科省の偉い方が「教師なのだからもっと良い言葉を使ってほしい」といったような無責任な発言をしたことで教師のバトンは大炎上。
今も煙は残っているでしょう。
この話から私が思ったことはただ一つです。
それは、
「重いバトンを受け取らなければいけないのは教師ではなくむしろ、文科省だ」
ということです。
私が見た限り、#教師のバトンというハッシュタグがついた投稿に生徒自身を批判したり不平不満を言っているのはほとんど見かけませんでした。
そのすべてが現状の勤務に関する、「文科省」という巨大な上司への嘆きの声でした。
・子供が小さいのに部活動のせいで遊んでやれない。
・残業が重すぎて、子供に夕食を作ってやれない。
・こんな仕事今すぐに辞めたい。
中には、
・教員を目指していたけれど、目指すのを辞めようと思います。
と投稿している教員志望の中学生もいた。
文科省はこのプロジェクトを「教員志望の人を応援するため、人数を増やすため」に行いました。
つまり、現場の教師たちは一切不満はなく良いことだけを伝えてくれる。
そう信じ込んでいたのでしょう。
現実が全く見えていなかった。
せっかく、これだけ現場の声を聴く機会を得られたのだから、教師の働き方改革という重いバトンをしっかり受け取り、改善していただきたいとおもいます。
教員のブラック化など、今に始まった話ではありません。
ずっと前からあった課題が、インターネットが普及したことでようやく今になって露呈したのです。
この変化を文科省はプラスに捉えますか?マイナスに捉えますか?
今回の教師のバトンの炎上はプラスに捉えるべきだと個人的には思います。
今までは、ブラックな現場を改善したいとは思っても、声に挙げることのできない時代だったのです。
ようやく一人一人の小さなつぶやきがたくさん集まって大きな訴えへと変わったのです。
もしかしたら現代日本の教育は転換期を迎えることになるでしょう。
もちろん簡単に解決できる話ではないのも確かです。
文科省にこの大きな課題を丸投げしても、なにも生まれないかもしれません。
教育システムを変えるには確かに教育のプロのアドバイスは必須でしょう。
しかし、果たして教育者だけで教育システムを変えれるのでしょうか?
確実に客観的な視点が必要です。
つまり、全国民の視点が必要ということです。
教育の話はこれからもたびたび取り上げられるでしょう。
今度は教師だけでなく、全国民が教育システムをより良いものに変えるために、一人一人が声を上げそれを大きな訴えにしていくことが大切なのかもしれない。
*この記事は私の主観によって書かれています。私の意見は一つの一意見に過ぎませんし、未熟で言葉足らずな意見でもあります。こういう考えをする人もいるんだなと思ってくれると幸いです。
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