振り返る。双極性障害からの脱出⑦
⑥から続く。
自殺未遂で3週間入院し、退院後、丁度夏に入った。
生きたい、
死にたい、
交互する気持ちに辟易する日々。
本来ならば、家族の為に生きなければ、頑張らなければと思わなくてはならないのだと思う。
けれど、こんなわたしが生きていても家族に迷惑を掛けるだけだ、こんな母親なら子供にとって有害でしかない、そう思っていた。
また、日々の家に引きこもり続ける生活に嫌気もあった。
双極性障害だからなのか、なんなのか、
これが所謂躁鬱なのか、自分で分からないでいたのと、そんな自分をコントロールするのが難しい、はたして通院を続けて、薬を毎日飲んで、これで本当によくなるのだろうか、これでいいのだろうか、
そんな風に思っていた。
働いてない事に対しても、自分を卑下していた。そして焦っていた。
確かその時期、そんな焦りもあり、ホテルのベッドメイクの仕事に応募して少しだけ働いた。
思った以上の体力を使う事、
女性ばかりの職場での特有の空気感に、すぐに辞めてしまった。
わたしは、仕事もろくに出来ないんだ、
そう感じて、また引きこもった。
この年の秋、
2度目のODをした。
本気だった。
溜め込んでいた薬、300錠程を飲んだ。
人生終わりにしたかった。
子供には、
ごめん、とメモに残した。
3日後、
わたしは死んでなかった。
家に訪問看護師と市の支援センターの担当者が毎日家に来た。
ドクターからの指示で看護師が訪問に訪れてくる。
入院にはならなかった。何故かは分からない。
300錠程の薬を飲み、死なず、記憶も残っていないのと、尋常ではない吐き気が何日も続いた。
そりゃそうだろう。
300錠なんて尋常な量ではない。
毎日意識混濁と吐き気の続く日々。
生きてしまった。
そう思い、落ち込んだ。
医師からは薬の処方を変えられ、処方は1週間分のみ、訪問看護師が薬の管理をする様になり、年末まで
自宅療養と言われた。
人間、この程度では死なないのだ、と思った。
これからどうしようか、
とりあえず年末まで引きこもろうと思った。
あとは、何にも考えられなかった。
続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?