トモココ.

疲れた心と身体を調整中。双極性障害II型と判断されるまでの、壮絶で笑える今日に至るまで…

トモココ.

疲れた心と身体を調整中。双極性障害II型と判断されるまでの、壮絶で笑える今日に至るまでを書いていきます。

最近の記事

人の不幸は『蜜の味』人の幸せは『ドブの味』

最後に一言。 このnoteは、 というか、 世の中の大半の人間は、 人が苦しみ落ちていく姿は好き、 人が幸せになり上がっていく姿は嫌い、 分かりやすいですね。 人間って、最低だ。

    • 「生きる」を選択した今。

      ご無沙汰してます。 前回の投稿から、少し間が空いてしまいました。 4年前に双極性障害から完全に社会から離れ、生活保護受給者になり、数回に及ぶ自殺未遂、そこからフルタイムの職場に就職し、生活保護廃止までに至り、小石を握りしめる様に小さな幸せから新たにスタートした50歳シングルマザーです。 この1年半、目紛しく怒涛の日々から今に至るまでを記載します。 昨年1月まで、家から外に出る事すら出来ず、人間関係もほぼ断ち切り、関わる人は2人の息子達、長年の親友1人、医療機関と生活保

      • 幸せの価値観

        こんばんは。わたしです。 ふと、最近思った事を書きます。 一言で『幸せ』って、少し難しいですよね。 皆、それぞれ違った価値観で幸せの定義があると思うのですが、正解も不正解もなく、皆さんそれぞれの価値観で生きてると思います。 わたしは、双極性障害と診断されてから3年ほど仕事が出来ず、頼れる人もいなく、更にその状況で中学生の息子を育てなくてはならなかったので、その期間は生活保護を受けていました。 決して多くはない保護費の中で、色々なやりくりをしながら生活してきました。

        • 令和のマーケティング、昭和の営業の続き

          おはよう御座います。 本日は、前回の記事の追加になります。 今の職場に行き詰まったわたしは、 元上司に、 今の状態でアポが取れない、受注も取れず、それと直属の上司は朝から叱責、相談したくても相談出来る人がいないと、非常に不安である事、直属の上司から言われっぱなしだと怖くて何も聞けず、キャッチボールが出来ない、 と言った内容を伝え、今一度考えたいので1日お休みを頂きたい、と伝えた。 元上司から、直ぐに返事が来て、明日話をしましょうと返事がきたので、翌日直接話をする事にな

        人の不幸は『蜜の味』人の幸せは『ドブの味』

          令和のマーケティング、昭和の営業

          おはよう御座います。 わたしは現在、広告代理店でマーケティングの仕事をしています。 簡単に言えば、最新のSNSを活用したサービス販促です。 今の時代、情報収集の主はSNSである事は間違いないでしょう。 こうして、この記事を書いてるのも実際に携帯から書いているのですから、日常には欠かせないものだと思います。 わたしの仕事は販促なんで、簡単に言えば、営業です。 毎日数字を追い、如何にサービス提供でお客様を取り込んでいくか。 SNS市場の拡大は既に当たり前となっており、

          令和のマーケティング、昭和の営業

          50歳からの就職

          こんにちは。 これまでの事は過去記事に掲載しているので、内容は割愛します。 今回は、 50歳からの就職、就活について書こうと思います。 本日までの約4年間、 わたしは双極性障害と診断され、3年程は実質的に仕事をしていない時期がありました。 丁度1年前から再就職をし、2回転職しました。 まず、タイトルにもある通り、わたしは昨年で50歳を迎えたので、実質的には49歳から就活し就職しました。 最初は、それまで3年働けていなかったので、正直仕事があるのか、採用してもらえる

          50歳からの就職

          振り返る。双極性障害からの脱出⑧

          ⑦から続く。 そうこうして、 自宅療養をしながら、2022年年が明けた。 この頃には、体調も精神的にもだいぶ落ち着いていた。 思ったのは、 やっぱり仕事をしよう、きつかったら無理しなくてもいい、とりあえず社会に出てみよう。 対人恐怖はもちろんあるし、人との関わりはやっぱり怖い。 誰とも関わらず、このまま死ぬまでと、思っていた時期も長かった。 けれど、それはなんの解決にもならない事、何も進展しない。 人に期待しない、 かと言って、自分を過度に信じなくていい。 なる

          振り返る。双極性障害からの脱出⑧

          振り返る。双極性障害からの脱出⑦

          ⑥から続く。 自殺未遂で3週間入院し、退院後、丁度夏に入った。 生きたい、 死にたい、 交互する気持ちに辟易する日々。 本来ならば、家族の為に生きなければ、頑張らなければと思わなくてはならないのだと思う。 けれど、こんなわたしが生きていても家族に迷惑を掛けるだけだ、こんな母親なら子供にとって有害でしかない、そう思っていた。 また、日々の家に引きこもり続ける生活に嫌気もあった。 双極性障害だからなのか、なんなのか、 これが所謂躁鬱なのか、自分で分からないでいたのと

          振り返る。双極性障害からの脱出⑦

          振り返る。双極性障害からの脱出⑥

          ⑤から続く。 ⑤に書いた病院には、約2ヶ月で退院した。 元々かかりつけ医ではなかったのと、症状が落ち着くにつれ、病院を出たいと申し出て、元のかかりつけ医に通院する事を約束して退院した。 入院前まで住んでいた家は既に住めなかった為、またしばらく体調の安定まで時間が掛かると判断され、入院先のケースワーカーと市の生活課、保健所の判断から生活保護になった為、その条件を満たす家賃の家に引っ越さねばならなかった。 幸い、それまで住んでいた地域に近い場所の古くて小さな家を次の住まいに

          振り返る。双極性障害からの脱出⑥

          振り返る。双極性障害からの脱出⑤

          ④から続く。 わたしが入院する病室は4人部屋。 精神科病棟の病室は、個々を仕切るカーテンは一切ない。 看護師が患者の様子全て見渡せる事、何らかの事故を防ぐ為だ。プライベートは一切無い。 病室の方々は皆良い人だった。 日々軽い雑談をする程度だ。 互いにある程度の月日を共に過ごす為、なんとなく結束感もありつつ、互いの距離を置く。 病棟での決まりは、 互いの連絡先の交換はしない事。 何故ならば、精神科病棟の患者同士が退院後のトラブルを避ける為だ。 それと、互いに患者

          振り返る。双極性障害からの脱出⑤

          振り返る。双極性障害からの脱出④

          ③からの続きになります。 3日間の精神科病棟から一時的に退院したわたしは、地元の駅に到着する足で、トイレに向かった。 そして、大量の嘔吐をした。 正直、精神科病棟の光景にやられた。まるで地獄絵図の様だった。今思い出しても、非日常の暗部を見せ付けられた気がした。 数日後にかかりつけ医からの紹介で、次の入院先を決める時に、 自分が入院せざる程病んでいるのは承知の上で、出来れば閉塞過ぎない、重度の患者さんの多くない病院を希望し、新たな病院を決めた。 入院まで1週間。 下

          振り返る。双極性障害からの脱出④

          始まった、2023

          明けましておめでとう御座います。 フォロー頂いている皆様、本当に有難うございます。 昨日、2023年始まりましたね。 年末年始は人並みにバタバタしていた。 双極性障害と診断されてから約4年、フルタイムで仕事を送る様になってから1年。 只々、慌ただしく過ぎた。 あっという間だった。 色んな事が変わった。 世の中も、自分も。 双極性障害と診断される前まで、自営業で昼夜関係なく、その日その日ね売上と支払いのお金に追われる日々から、精神崩壊、経営破綻、入院、連続にわたる自

          始まった、2023

          疲れた。

          こんばんは。 今日は仕事はお休みでした。 気付けば年末。 振り返れば1年働き続けてきたなー。 いい事も嫌な事も沢山あったし、色々と我慢も多かった。 最近は何故か、夢ばかり見る。 楽しい夢、怖い夢、いつもリアルな夢で、なんだか疲れる。 脳の中で何が起こってるんだろう。 日に日に変化する現実に、必死でしがみついてきた気がする。 生きるって大変だし、しんどいし、意味なんていくら考えても見当たらないし、毎日そんな事の繰り返し。  今は、なんだか疲れた。 少しだけ、消え

          振り返る。双極性障害からの脱出③

          わたしは精神科病院へ、息子は児相へ、そるぞれ移送された。 わたしが入院したのは、おそらく県でも昔からある重度の精神疾患の方々が入院している病院だった。 深夜近くに到着した。東京から帰省して、既に8時間は経過していた。 病院に到着してから、 まずは荷物を全て預けなくてはならない。 それから院長との話が始まる。 院長から言われたのは、 『自分の宿題ではなく他人の宿題ばかりを優先してしまったのではないですか。』 『・・・』 一瞬意味が分からなかった。 要は自分を労らずし

          振り返る。双極性障害からの脱出③

          振り返る。双極性障害からの脱出②

          そんな時だった。 地元の警察から、上の子供に電話がきた。 やり取りを聞いていた。 上の子供が、 『明日には帰らせます。新幹線の時間が分かったら連絡します。駅までは自分が送ります。』 何が起こったのか、わたしは混乱した。 そして恐怖が襲った。 上の息子から話を聞いた。 とにかく地元に帰るしかない。 どうなるんだろう、もう怖さしかない。 翌日、心がおかしくなっていた。 息子から警察に『○時に〇〇駅に着きます。』 逃げたらいいのか、上の子供に送られて新幹線に乗った。

          振り返る。双極性障害からの脱出②

          振り返る。双極性障害、苦しみからの脱出①

          おはよう御座います。 わたしが双極性障害だった事は過去記事にも書いているので、経緯については少し割愛します。 2019年2月、わたしはボロボロだった、何もかも。 事業は既に破綻し、生活も破綻していた。 毎日アルコールを飲んでは一瞬でもその現実から解きたれたかった。そして、馬鹿みたいな夜を過ごした。 けれど朝にはアルコールの残る身体と頭で、また朝が訪れる事に、恐怖と自責ばかりが頭を巡る。 もうどうして良いのか分からなかった。 そしてそんな自分を恥ずかしく、誰にも知られ

          振り返る。双極性障害、苦しみからの脱出①