桜舞い散る頃には
ちょっとアンタ1年7組のさ、天川さきって知ってる?
って桐花先輩に急に言われたのは、朝子が部室のドアを開けてすぐだった。
「なに一体どしたんですか先輩」
「それがさ、桐花が理科準備室にいつも小暮ティとこ遊びに行ったらさ小暮の席にその天川って娘が偉そうに座ってたんだってさ」桐花先輩の代わりに副部長の佐奈先輩が応える。
小暮ティ、とは小暮ティチャーの愛称。2年の化学担当の小暮先生は仲良しの生物の番くん(一応先生)と2人で大体いつも理科準備室に居る。つまり職員室では2人とも滅多にお目にかかれない。どうやら桐花先輩は小暮ティの高校教師らしからぬ腰の低さが面白くって、放課後とかどうでも良い事喋りに度々理科準備室に行くのだ。
「そん時、番くんは居てね」桐花先輩は補足する。生物の番先生は1年7組の担任で、隣の朝子のクラスにも教えに来ている。ちょっとおとぼけと言うか、のんびりした雰囲気の先生。えーと昨日息子とプラレールをしてましたらね、なんて生物の授業に直接関係ない話をゆうるりぶっ込んでくる。何考えてるか良く判らないタイプの先生。
「小暮ティの席に何でいるの誰アンタって言ったらさ、番くんのクラスの天川さきだって言うから」偶然にも。さきは朝子の小学校から一緒の友達だ。しばらく一緒のクラスなってないけどCD借りたり、漫画貸したり、高校入学してから最近あんまり話してないけど。と朝子は伝えた。
まあまあそれよりも先輩、今日アレ印刷するんでしょ。手伝いに来たんですよ。不定期発行の文芸部の部誌、クリスマス合わせの分の原稿全員の完成って言ってたじゃないですか。朝子が真面目に話を戻したので、桐花も副部長である佐奈も我に返った。机の上に集まった原稿袋を持って、そそくさと職員室脇の印刷室に3人で向かう。今日部長は先に帰ったって言うし。
「いろはごっこ」と表紙に必ずロゴの入る部誌は新入生歓迎号、文化祭合わせ、クリスマス合わせ、バレンタイン合わせ
うん、大体年4回か。2年の2人が言う。
「来年朝子が部長になったら、もっと出しても良いよ」
そうですね、後輩がもう何人か入って、印刷作業の手が増えたら。今日はたった3人しか居ないから製本途中までしか出来ないかも。
朝子は印刷室でつぶやいて、印刷機の表示通りに古いトナーを捨てた。
人数はちょっと寂しいけど、朝子は高校生になって初めて入った文芸部が好きだった。先輩は優しいし上下関係は緩いし、印刷作業は好きだし。部室が学校敷地内のハズレに有る古い図書館を利用してるってのも雰囲気が有っていい。部室に入ってぐるりと見回すと、部屋を取り囲む壁はほぼ天井まで続いてる本棚で埋まっている。本棚の前の一区画ずつに大きめの事務机が置いてあって、パイプ椅子が数個ずつ。右手前が文芸部。奥が社研部。事務机から手の届く本棚は、そこの部がそれぞれ自由に使っていい物入れだ。製本テープとかボツ原稿とかあそび紙の余りとか。何やら無造作に並んでいる。
今回のクリスマス合わせの原稿は、部員がそれぞれクリスマスに因んだお話やエッセイを書いててそれは各個人の個性が光ってて面白い。製本作業しながら、朝子はつい見入っていた。
だから桐花先輩が「それでさ」と朝子にも話を向けたのにすぐは気づかなかった。桐花と佐奈はご近所で、幼馴染。来月のクリスマス会どうするかと相談していた。「朝子もプレゼント交換しようね」高校生にもなって、と思いつつこの先輩たちのプレゼント選びもなんだか面白そうだ、と朝子は思った。
クリスマス合わせの部誌が無事、学校の玄関の無料配布の机に並んだ12月初め、朝子は又意外なところからさきの名前を聞いた。それは同じクラスの恵美子からの噂話だった。「あのね隣のクラスに先生と付き合ってる子が居るんだって」その子がさきだとは、朝子は夢にも思わない。確かに小学校の時からちょっと考え方が大人で雰囲気も大人っぽいとは思っていたけど、でもそう言えば好きな人の話はした覚えが無い。
「噂でさ、その娘って番くんといつも理科準備室で一緒だったんだって」
ああ、いつか桐花先輩も言ってたやつかコレ。途端に朝子は脳内で事実を繋げて解釈する。だって桐花先輩も小暮ティとこに遊びに行くじゃん理科準備室。一緒でしょさきも番くんと話しに行くんでしょ
「大体番先生、結婚してて子供も居るしさ」と一笑に付す朝子に向かってより一層小声になって、恵美子は言う。
「だからさ先生と生徒の恋愛だし、あれよ不倫な訳よ」
どき、とした。え、あの。小学校から一緒のさきがなに、え不倫?
勿論本人に訊けないけど訊ける訳無いけど。
そしてチャイムが鳴って朝子の次の授業は生物だった。相変わらず番くんが間延びしたような声で教科書のページ数を告げる。その様子はいつもと何ら変わらない。いつもは気にならないそのメガネの向こうの瞳を、朝子は教室の隅からじっと見つめてみる。この人が、さきの好きな人?この人はさきとどんなふうに。何を。
そこまで考えた時、不意に肩を叩かれた。
「朝子、呼ばれてる」
言われて教室出たところに居るのはさきで、又朝子はドキッとする。
「ねー朝子、ちょっとさ」呼び出しなんて珍しい。普段は挨拶くらいなのに。でもさきは中学の時と変わらず普通に話しかけてきた「ドリカムの新譜もうレンタルした?決戦は金曜日。まだだったらさ、ついでにこのカセットテープにも入れといてよ」
そう、さきはいつも朝子に対してこんな感じだ。友達と言うかちょっと便利屋扱いだ。それとさ、とさきは強引な頼みに続けて四つ折りの紙を渡してくる。
「さっきの古文の時間、暇だから手紙書いた。読んで」
「アンタ暇だからってねえ」と半分呆れ顔で、でもちょっと内心ドキドキしながらレポート用紙の手紙を受け取る朝子であった。
その日の放課後に文芸部の部室に顔を出した朝子に、よう、と手を挙げて挨拶してきたのは部長だった。部長はひとりでワープロを弄っている。
「お疲れ様です部長。桐花先輩は今日は?」部長と桐花先輩は中学生の頃から付き合っているらしいけど、部長はいつもクールで、桐花先輩と2人きりで何話すんだろ、って不思議に思える。一体恋人ってどんな感じか、未体験の朝子には判らなかった。
「ああまた小暮ティのトコだろ。多分飽きたらここ来るよ」興味無さそうに答えて部長はまた自分の作業に戻った。
さて、と朝子は今日さきから受け取った手紙を開く。
暇だから、と言ってた割にはその分量はまあまあ多い方だ。ゆっくり読めるのはここ部室だろう。そう思ってパイプ椅子に腰を下ろした。
「To朝子 そうそうまだ借りてる本有ります。まだ読めてないゴメン。新釈源氏物語のほう、まだ時間かかりそう」そして彼女の好きな古典の話が一枚続いていた。続いて「織田正吉の絢爛たる暗号と澁澤龍彦の高岳親王航海記」って本が注文しても学校近くのブックセンターには品切れで無くて、探してるという話。そして最後に
「朝子、文芸部ってことはまた小説書いてるんだよね。ごめん「まだ」だよね。読ませてよ。私もぼちぼち書いてます。未完ばかりだけど」
え、と朝子は目を疑った。さきは遊びでマンガみたいな絵を描いてたイメージは有るけど、あと小説読むのは昔から好きだったけど、自分で文章書くって話は初めて聞いた。
そして、その手紙はこう締め括られていた。「朝子の方が昔から書いてるからその点では先輩だから、色々と教えて下さい。またアドバイスちょうだいね」
へえ、と朝子は思う。今日恵美子から聞いたばかりの噂話も別段気にならなくて朝子はすぐに返事を書いた。
「私で良ければお話見せてください」小学校からずっと知っているさきが、一体どんな文章を書くのか、その方が楽しみだったからだ。
その返事から2週間後、朝子は分厚めの封筒をさきから受け取る。
「感想聞かせてね」とワープロで打ったその束の、一枚目の一番上に鉛筆の走り書き
「桜舞い散る頃には」
ふうん、と朝子はつい口に出る「桜舞い散る頃には」キレイなタイトルね。
途端にさきが珍しく赤面した。
その日は終業式で、午前中で学校はおしまいだった。コンビニで肉まんやジュース買い込んで結局桐花先輩の家でクリスマス会。
今日は部長も居たしOBの花田先輩だって居た。秋の文化祭でしか会ってない先輩も何人か居た。この前部室で麻雀してた先輩も出てきてた。受験勉強なんて年明けからで良いんだよってよゆーの3年も居た。
CDを大音量でかけて、カラオケボックスでも無いのにカラオケ歌って大騒ぎしていた。
「じゃあ次はねアニメしばりでっ」とCDを部長が入れ直す。そのタイミングで朝子は新しいペットボトルからコーラを入れ直した。
「ああ、そういや。この前小暮ティのトコに行った時にさ」
プレゼント交換で白いセーターが回ってきて、ちょっと上機嫌のまま桐花先輩が言う。
「あのさ番くんの机の上ね、キャンディポットが置いてあんの。番くん甘いモノ好きで、テストの採点中とか度々口に放り込んでたらしいんだけどさ」はあ、と急な話の展開について行けず、朝子は手に持っていたグラスを傾けた。
桐花先輩は気にせず続ける。
「この前ね、お裾分けですって小暮ティが飴ちゃんゴソッとあげた時に番くん、いつもしてたみたいに、そのキャンディポットに移し替えないのよ。小暮ティがアレって聞いても頑なに瓶のふた開けようとしないんだって」
「なんでだろ」話を聞いていた佐奈先輩が突っ込んだ。
ダイエット中だろ。部長が言う。
「それがさ中身が一杯ってわけでもないのにね」
「あー息子サンに持って帰るんじゃないのぉ」
「珈琲キャンディを?」口々に勝手な想像を喋って、お菓子を摘んで。楽しいひとときだ。
「…そういや番くんと言えば、あれから天川さきってのも理科準備室では見ないわ。朝子何か知ってる?」
あ、と朝子は言葉を発しそうになって止める。不倫?の話。そういやあれきり聞かないけど。イヤでも、手紙でもいつもの感じだった。
今日会った時も普通のさきだった。小説を書いてるってこと以外は、朝子の知ってる頃からのさきなのだ。その筈。
また来年ね、年賀状書くからね。とクリスマス会は17時にお開きになった。
帰り道。ふと。朝子は今日学校でさきに渡された原稿のことを思い出した。
「桜舞い散る頃には」だったタイトルは確か。うん。
駅のホームで、目当ての電車が来るまで、と朝子は壁を背中にもたれる。カバンの中の封筒から紙の束を取り出して、朝子は早速言葉を目で追う。すぐに勘づいた。
「あ。」これは恋の物語だ。
そしてさきと先生の物語だ。
勿論カモフラージュはされているけど、朝子にはすぐ判った。
文学好きのさきのキレイに纏まっている文章から、好きと恋が滲み出ている。朝子はどうしても心が痛くなって読み進められず、さきの作品を封筒に戻す。
さきの恋心を知らないフリして私にアドバイスが出来るだろうか。「恋人」を知らない私がどこまで何を言えるだろう。
誰にも言えない「秘密のキャンディポット」だ。否、さきは朝子にだけ伝えたのだ。オリジナルの創作小説というかたちで。
朝子の電車はまだ到着しない。
さきは文章の序盤にこう、さきの言葉で綴っていた。
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準備室の先生の机の、ペンを持つ左手の向こうには、背の高いガラス瓶が100年も前からそこに有るみたいにそっと置いて有り
青いビー玉が蓋についたそれに私は手を伸ばした。色とりどりのキャンディが詰まっていて、この部屋に有るのは不似合いな様で、でも先生の雰囲気にはとても合っている。
窓からは乱反射の朝日が差し込んで、ビー玉も一緒にキラリと光った。
「あ、それはだめですよキミ」ふと。先生は私に優しい声で制する。
「先生これなあに」「僕の大事なおやつです」
「あ先生。隠れてそんな食べてるから、だからですよ少しずつお腹出てきてるんでしょ。程々に...あっ私が代わりにもらってあげます」
私はガラス瓶を両手で支えたまま、窓際の本棚にもたれた。
「…ダメですか?」
先生はゆっくり首を横に振って、
仕方が無いですねと言う顔をした。
私は、といえばそんな先生が可愛くて仕方ない。こうした、私しか知らない先生の顔を見たい。私にだけの言葉が聞きたい。溢れる感情がどうしても止まらなくなる。
「先生、あのね」
指をガラス瓶の底に沿わせて、ぐるぐると動かしながら私はお願いをすることにした。
「どうしましたか」
「私がここに来るたびにそのガラス瓶の中のキャンディ、ひとつ私にください」
「うん?」と眼鏡の奥の優しい瞳が瞬きする。
「私がこの部屋に先生に会いに来るたびに、ひとつずつキャンディを私にください。ひとつずつ一つずつ。そうしていつか全部なくなったその時に私とふたりきりでデートしてくださいね」
明らかに困った顔をして、頬を赤らめて。
「ね、約束」と言うと先生は軽く頷いた。
「良かった」と私はとびきりの笑顔を作る。
毎朝会いに来るのは無理かもしれない。でもふたりきりで会うには、何にも誰にも遮られない朝がいちばん良いのだから、これからも朝日にお願いしようと思う。
寝癖のついた頭もメガネの奥の寝ぼけ眼も全部が好き。
先生が4月の初めに言った言葉、
桜舞い散る頃には。
「考えてみて下さい、来年の桜舞い散る頃には何をしているのか」
先生は先生だから、担任として高校生としての自覚をしっかり、と言うのは勿論分かってるけど
それでも私は。桜舞い散る頃には、きっと先生とふたりきりで。
ふたりきりでデートが叶うなら他に何もいらない。先生が好きだから。私は先生が好きだから。
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2022.3.12 1:41am
3.15 14:01推敲
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小1の時に小説家になりたいと夢みて早35年。創作から暫く遠ざかって居ましたが、或るきっかけで少しずつ夢に近づく為に頑張って居ます。等身大の判り易い文章を心がけて居ます。