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「変えられない」ではなく、「変えづらい」と思ってみる。

先日読み切った、pha著『しないことリスト』が、かなりの良本だった。

個人的に、かなり「ほっ」とできた本だったので、真面目で頑張り屋さんな人にほどオススメしたい。読みやすいし。

そしてそんな本の中で印象に残ったフレーズのひとつが、ニーバーの祈り」の一節である。

神よ、私達にお与えください。
変えることができるものについて、それを変える勇気を。
変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの冷静さを。
そして、変えることができるものと変えることができないものを、見分けられる知恵を。

『しないことリスト』第3章 p113

「ニーバーの祈り」は、アルコール依存症の自助団体などでもよく引用されているらしい。

「全部自分で変えられる」と思う世界線では、全てが自己責任でしかない。でも、生まれる環境や災害など、どうにもならないものだって沢山ある。

50パーは自分で変えられる。でも50パーは変えられないよね。

そんなノリで生きてこうよ、という文脈で「ニーバーの祈り」は紹介されていた。


私が気になったのは、「変えることができるものと変えることができないものを、見分けられる知恵を。」という部分である。

どうやったらその知恵、得られるの?

という話だ。


そんな時に思い出したのは、仕事でのふりかえりの場面である。

仕事では当たり前だが、「変えられる」前提で話す。忘れ物が多いなら、「メモ帳に持ち物一覧を記載する」とか「いつも使うバッグを決めて、必要なもの常に入れておく」とか、変えるための改善策を考える。

3年目になるまで、私は自分ができる範疇のものしか変えられなかった。そもそも、他の人を巻き込んでの改善策を考えようともしてなかった。

しかし、例えばだが、「よくこのボタンを間違えて押してしまう。UIが良くないんじゃないか?じゃあ、エンジニアに変えてもらおう」
というものだって、立派な改善策だ。

自分では変えられないけど、誰かに頼めば変えられるものも、「変えることができるもの」に分類される。

でも、これまでは人に依頼しなきゃ行けない事は、私にとって、「変えることができないもの」に近い存在だった。

それは、自分だけで変えられるものより、変えるハードルが高いからだろう。



そう思った時、「変えられない」の中に、「変えづらいもの」も入ってるかもしれないなと思った。

そして、「変えられない」んじゃなくて、「変えづらいんだ」と気づき、その原因を知ることで、自分の「変えられるもの」の幅が広がると思ったのだ。

その気づきを重ねることが「変えられるもの、変えられないもの、を見極める知恵」に繋がるのではないか?と感じている。




そもそも、元気な時は変えられる!って思えることも、疲れてたら思えなかったりもするし、単純に知識が増えたら、変えられると思えるものも増えると思う。

変えられるもの、変えられないもの、はとても流動的なのだ。


実際、自分でコントロール出来るものが多いと思える方が、生きやすい。

今変えられないと思ってるものも、実は変えづらいだけかもしれない?とか。いつか変えやすいものに変えられるかも?とか。そんなふうに思ってる方が、気楽だなぁと思った。


そんなニーバーの祈りをはじめ、「ほっ」とできる色々な考えに出逢わせてくれた、phaさんに感謝である。

すごく読みやすい本だったのでぜひ読んで欲しい。

さすがにこの考えはちょっと!って思うものもあったけど、価値観が揺らぐという意味でも、やはり良本でした。


ではまた別のnoteでお会いしましょう! !

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