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土器に浮かびあがるカオ | 蓮田市 黒浜貝塚と文化財展示館
「とかいなか」今や一般的になったこの言葉。
仕事のために都会に通える距離にありながら、自然豊かな地域を意味します。
私が思い浮かべる「とかいなか」は、空が広いこと。
空が広い…つまり、建物と建物との距離が広く、街のあちらこちらに空き地があり、大きな建物が少ない、こと。
そんな条件にピッタリ当てはまるのが、都心から約40㎞の埼玉県蓮田市です。
今回「とかいなかNO.1」を掲げる蓮田市にある黒浜貝塚・文化財展示館へ行ってきました。
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駅前は大きな建物がなく、広々しています。
東京駅から約50分程のJR蓮田駅、ここからバスで10分ほどで「蓮田市役所前」へ到着。貝塚まではバス停から徒歩2分とありますが…
辺りを見回すと目の前に竪穴住居が!なんと市役所の目の前が黒浜貝塚なのです。
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この竪穴住居のすぐ奥から国指定遺跡 黒浜貝塚が広がっています。
黒浜貝塚は、黒浜式土器の「標識遺跡」として知られています。
黒浜式土器は、約5.000年前の関東地方に広く分布した土器で、名前のとおりに黒浜貝塚周辺から多く出土したことから、この名前が付けられました。
このように、土器に名前が使われた遺跡のことを「標識遺跡」と呼びます。
竪穴住居はの黒浜貝塚にあった復元住居です。
5.5×4.5mの長方形の住居は縄文時代の平均的な大きさの住宅で、家族単位で住んでいたと思われています。
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ここから貝塚が広がっています。
黒浜貝塚は平成18年に国指定遺跡になり、蓮田市は「渚と森の記憶 整備計画」として、縄文時代の森・水辺・ムラの復元を進めています。
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緑の中を進むと、「凹地」エリアへ入ります。
「凹地」は、東西約50m、南北約40m、最大80㎝が削られて作られています。これは縄文人がおこなった土木工事で、今でいうと2tトラック800台分の土砂が運び出されているそうです。
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さらに進むと、湧水池があります。
先ほどの「凹地」から運び出された土砂は、この湧水のある場所と人々の住む場所を一体化するための造成工事に使われたと考えられています。
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物語っています。
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縄文人の作った緑の林、「凹地」を抜けると、広々した空間が広がります。
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先ほどの遺跡の入口に戻り、次は蓮田市文化財展示館へ。
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文化財展示館へ入ってすぐ目に飛び込んでくるのが、縄文時代晩期の「人面付土器」。
土器から浮かび上がってくるように見える顔に、少し緊張します。
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これが黒浜式土器です。
鳥の羽のように縄文を施している「羽状縄文」が美しい土器です。
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人面付土器の顔とはまったく異なるユニークな土偶たち。
大きな丸顔の土偶は、顔がかなり上向きで何だか辛そうです。
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これは土器を再利用した魚釣り用の錘です。割れたなどして使えなくなった土器を、このようにリメイクして使ったと考えられています。
錘が土器の形のように見えるのも面白いですね。可愛いブローチのようです。
縄文時代は、壊れた土器を修復したり、再利用するなどの工夫が各所で見られます。
SDGsは既にこの頃から始まっています。
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これは日本海側から運ばれたと思われる火炎土器の破片です。
火焔土器と言えば新潟県、そこから埼玉県までどのように運ばれたのでしょうか。
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この他にも土器や土偶と興味深いものが数々ありますが、私が珍しい~初めて見た!のが、両耳用と思われる「対になった耳飾り」。
〝赤く塗られていた〟というこの耳飾りは、大切な時に使われていたようです。
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蓮田市で出土した、旧石器時代から江戸時代までの遺物を見学した後は、VRで縄文時代へ。
黒浜貝塚の5,000年前の様子が疑似体験でき、今までみてきた貝塚や土器などがより身近に感じられます。それにしてもVRって本当に凄い、楽しいですね。
のんびりと遺跡を歩き、じっくりと展示館を見て約3時間余り。
どこか旅行に出かけたかのように、気持ちいい解放感を覚えます。
空の広い「とかいなか」の蓮田市。
縄文好きでも、そうでなくても、気持ち良い休日がおくれそうな蓮田市です。
最後までお読みいただき有難うございました☆