「苦手」ってスルーできないものと思っていた
わたしは最近まで(今も少し?)、
苦手(向いていないなと思う事)でも、せめて「平均レベル」までは出来るようにならなきゃいけない。とずっと思ってきた。
それは他の人が普通に出来るから、だったり、
わたしだけが出来ないことで、周りに迷惑が掛かる、とか
苦手だから浮いちゃうんじゃないか・・・
という先入観で、「ニガテ=悪・逃げ」と思ってきた。
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私は小学生の頃、走るのが遅くて、いつも徒競走の時は、
私といえば、「ビリ」か「ギリギリ、ビリじゃない」という底辺ポジションにいた。
思い出してほしい。このポジション、小学校界隈だと非常に”悪害”として扱われがちだ。
幼いなりに小学校という環境には残酷にも見えやすいヒエラルキーがあって、
目に見えて飛び抜けるものにみんな集る。逆も然りで、目に見えて落ちこぼれるのにもすごく敏感だ。そこに関して小学生らしく、その背景とか過程なんてのはまず考慮に含まない。かわいいもんは、かわいい!まずいもんは、まずい!のだ。
こうして、走るのが早い男子は、なぜかカッコイイという流れがあり、彼らは非常にモテていた。
その当時、私は女子なのに、なぜか彼らを見ては「くそぅ・・・」と影で指を咥えていた(謎)
たかが足が速いくらいで好感度高いのかよ、意味わかんねぇ・・・・。
そんな小学生の頃、運動会や体育の授業で「走る」という場面に出くわす度、同じチームの人に私の走りが遅いことで”足手まといになるんじゃないか”、とか”迷惑かけてしまう”などと、なんか惨めな気持ちを感じるようになって、
私は、毎朝5時に起きてキッチンタイマー片手に、誰もいない公園で1人でクラウチングスタートからの徒競走を繰り返す練習を始めるようになった。タイムを早めようという一心で。
そんなことを毎朝していると、さすが小学生。
若いから?すぐに成果に現れた。
そしていつものように体育の授業の時、
徒競走で私と同じチームになったデリカシーのない友達は「きなこ足遅いもーん」と私を弄ってくる。
その時、「ふんっっ!今に見てろやい!!!!!」と心の中で叫びながら、
「そうそう、またビリになっても許してね;」といつものように言った。
いざ徒競走で私の順番がきたとき、私と争うメンバーはみんな「お、あいついるから自分はビリにはならない!」とどこか安堵しているように見えた。
そしてスタートを切り、
私は一番最初にゴール出来た。
初めての一等賞。
周りの友達の「思ってたのと違う・・・」感は言うまでもなく非常に露骨で、その頃から私のイメージは急に変わってしまい、リレーなどでアンカーを務めるなど、足が速いキャラに変更された。
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社会人にもなれば、「100m走が何秒で走れる?」なんて聞かれることも無ければ興味も湧かないし、陸上選手でもない限り履歴書にも不要だ。
だけど小学生の当時は、「足が遅い」という走ることが「苦手」という事実をかなり深刻に受け止めていて、当時なりに悩んで、”克服せねば!!!!”という結論に達したんだと思う。
こんな具合で今まで、あらゆる部分で平均以下が発生した自分にとって、至る場面で「苦手」たるものに出会った。
その度に、この苦手をどう処理しようか考えて、
克服しなきゃ、克服までとはいかなくても、「平均」とか「普通」の状態には持っていく努力をするべきなんだ、とある程度向かい合うようにしてきた。
しかし、
そんな固定概念が彼氏の一言で崩れ砕けることになった。
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ある日の晩、彼とご飯を食べていた時、
彼「もう暑いね」
私「暑い暑い!海にでも潜りたいくらい今日は汗かいたよ!」
彼「そう?潜りたいとは思わない。笑」
私「いや、ドワーっと水浴びたくならなかった?」
彼「うーん、まず俺泳げないからさ〜」
・・・・・?!
お、泳げない?????ええ、この人、もしかして全く泳げないのか??
そんなことってあるのか???!!!
私「え、学校の授業とかどうしてきたの?私が小学生の頃は25m、高校生の頃は50m泳げるまで練習させられたし居残りだったよ・・・・???」
彼「そんなのないよ。泳ぐのが苦手だったから、その時間は卓球の時間に当ててた。だから卓球はめっちゃ得意だよ!笑」
私「マジか」
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まず、日本の教育と、中国(彼は中国人)の教育は本当に違うんだな・・・と思った。
彼は小学生の時に一度プールに入って、「うわ!無理!」と感じて
それ以来一切、水泳というものに触れていないらしい。
今の小等教育を知らないけれど、
少なくとも私の知っている小学生の夏は水泳一色だったし、私の時は全員25m泳げるまで練習があったし、高校生になっても水泳は夏の定番で、苦手な人はなんとか克服するか、もしくはサボって単位を落とすかの2択だった。
でも彼の教育上の場合は、「苦手」(水泳)に出会って、「得意」(卓球)に切り替えるのが自然だったらしい。
そんな経緯があるからか、彼は23歳にもなって全く泳げない事実に対して、何も後ろめたく感じている様子はないし、「泳げないから、泳がないよ!」と晴れ晴れと割り切っている。
むしろ私が「お、泳げないの?やばくない?」と思ったことそれこそが「やばいかも」と思わせてくるくらい彼は堂々としていた。強い・・・!
なるほど・・・・・。
私は今まで、様々な苦手と出会ってきて、
その度に、変な圧迫感と他者との比較に交差され、
「なんとかしなきゃ・・・」と思ってきたけど、
その時間を得意なことや、好きなことに向けれたほうが、人生豊かなのではないか・・・・。
当たり前だけどそのほうが気持ちもポジティブでいれる。
社会人になってもそうだけど、
今はやっぱり好きなことにもっともっと向き合いたい。
好きなこと、自分の夢とか、
そういうことに向き合って生きていきたい。
苦手なこと、したくないこと、受け付けないこと
生きていたらやっぱり不可避なわけだけど、
いちいち真剣にそれと向き合うのだったら、
もっと好きなこと、得意なことに時間を使って伸ばしていくほうが
楽しいし、幸せかな。
その意識を持ちたい。
苦手なこと、好きでないことに対して、彼のように、「あ!それニガテです!!!!」とコミカルに言えたらポジティブかもなぁ〜(状況的に言えないときもあるかもしれないけれど)
そんな人生にしたいと思った日・・・・!!!
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