民藝旅 vol.1 山陰・愛媛編 \9日目/【島根県 奥/出雲】
4月15日 火曜日 晴れ。
朝ごはんは道の駅にかぎる。なんちって。
愛媛の「じゃこ」をもうちょっと味わいたくて、朝から揚げ物にぱくついた。もちろん、このあと胸焼けにもぞもぞ。
それでも、やっぱり甘いものは別腹。
エネルギーを補給したら、観光案内所へ。
「斐伊川和紙」というところが、民藝と関係があるかも、と教えてもらった。出雲大社でおみくじを引きたい気持ちをこらえて。まずは、取材へ。
青々とした田んぼと山の間。やっぱり日本昔ばなしのようなところに、斐伊川和紙さんはあった。ごめんください、と扉を開けると、お母さんが畑仕事の格好で出迎えてくれた。
「わたしより、いまの人(7代目)のほうがわかるでが〜」
お母さんは、お国言葉のスーパーネイティブ。7割ほどしか理解ができない。
「わたしの言ってることわからないでが?こりゃ、ガーガー弁っていうだが。みんなわからないが〜」お母さんはきゃっきゃと笑う。きっと、和紙を目当てに訪ねてくるよそ者は、みんなお母さんのお国言葉に目を白黒させたのだろう。
本宅のうらに、紙すきの工場があった。
7代目の井谷伸次さんが、政治情勢のyoutubeを聴きながら和紙を漉いていた。昨日見せていただいた愛媛の「天神産紙」さんとは、動きや諸々の回数が違う。
「これは、端紙を再利用して、包装紙用に漉いているんです。」
和紙を整形するときにできる端紙も、ムダにしない。
たいせつに、最後まで資源を使い切る。
ものが少ない時代からつづく「もったいない」の精神だ。
「これが、のりになる“トロロアオイ” 北関東のほうからしいれているよ。」
ごぼうの親戚みたいな、くたっとした植物。これがトロロアオイ。
いまはすべて国産の原料で作る斐伊川和紙。しかし、北関東のトロロアオイ農家さんが減ってきて、このままだと国産の原料だけで和紙づくりをすることは難しくなるそうです。
原料が足りない問題は、陶器だけではなく和紙の世界でも起きていました。
「和紙の原料になる楮(コウゾ)は、うちの畑で育てています。」
できるだけ、土地でとれる材料で、お父様の背中をみて道を極めた7代目。
* * *
「お昼ご飯を食べて行きなさい。」
7代目がご自宅に招いてくださいました。
もちろん、そこにはかわいいお母さん。
古い時代の出西窯に塩おにぎり。
昨日採ったばかりのタケノコ味噌汁
卵焼き、煮物、ちくわ、自家製の漬物、梅干し…さらにタケノコの焼き飯。
お母さんは、テーブルのうえにどんどん料理をもってくれる。おばあちゃん家に行ったときのことを思い出した。7代目はそれぞれのお皿について教えてくれる。
食べて、聞いて、食べて、聞いて…
「焼き物はね、裏返して土を見るんだよ。」
そういうと、7代目は2つのお皿をひっくり返した。
「これはね、どちらも出西窯。でも作られた時が違うんです。」
左のオレンジがかった皿は“とても古い”出西窯。
右の赤黒い皿は“古い”出西窯。
どちらも、いまの出西窯とは土が違うらしい。
(原料が土地からなくなったら、工房を閉じなきゃいけないと柳先生は主張していた。そしたら、日本の手仕事はいくつ残るかな。日本の手仕事の優先順位ってなんだろう。)
出西窯の先代と、斐伊川和紙の先代は兄弟の盃を交わした仲。だから、斐伊川和紙さんのお宅にはすてきなお皿がいっぱい。棚の中、扉の中、そんなところから?という所からたくさんお皿を出して見せてくれた。
7代目は、おもむろに、爪でうつわを弾いた。
クヮーン、と鐘のような高い音が鳴った。
もう一つ、別のお皿を爪で弾く。
グォーン、先ほどよりも低い音が鳴った。
「何が違うと思う?」
7代目が学校の先生のように、問いかけた。
焼くときの温度が違うと思います。むかし陶芸家の友人から聞いた記憶を引っ張り出して答えた。「正解。高い温度で焼かれた陶器は、焼締られて高い音がするんだよ。」
ほぉ…7代目の真似をして、いろんなうつわをつま弾いた。
* * *
7代目にとって、民藝ってなんですか?
「ぼくらは、美しい丈夫な和紙を作っています。気取らず、飾り気がない。純なもので作る、手間を省かない、まじめな仕事。健康で美しい紙、それが民藝の紙です。」
素直で、かっこつけない、シンプルなもの。一手間をかけて、一手間を省かない真面目な仕事。それが7代目にとっての民藝。ノートにボールペンを走らせる。
「今は、アート的な紙も求められています。それでも、柳宗悦さんの認めてくださったものから外れたものを作ることは、できない。」
日本民藝館展で幾度も受賞した、民藝の王道の言葉。
柳先生が美を見出した紙の作り手は、その質を守るため、一手間一手間。いまも紙を作り続けてる。
* * *
そういえば、7代目は柳宗悦さんに会ったことはありますか?民藝と関わり合いが深いと聞いていたので、聞いてみた。
「柳さんはね、よくうちにきて“いつ来ても、いつ見ても、素直でいい紙を漉かれますね。”とおっしゃっていたんだよ。私は、柳さんが来たときに運転手をしたんだ。」
突然の「なま」柳先生情報にめだまが蒸発するかと思った。しかし、しかし。じつはここからはオフレコなのです。
「…ということなんだ。本に書いちゃダメね。」
もし、興味がある方、東堂と直接会うことがあれば、お話ししますね。オフレコなのです。
お母さんがお土産に筍の水煮を持たせてくれた。一つは翌朝に生でがぶり。もう一つはゲストハウスで砂糖醤油炒めにしていただいた。本当におばあちゃんの家にきたような、安心感。ありがとうございました。
* * *
念願の出雲大社にお参りして、心が励まされるおみくじをひいて、稲佐の浜で夕陽を見送った。
大学生グループの恋のゆくえを見守りたかったが、まぶたが1トンくらい重たくなってきた。車にもどり仮眠をとった。
明日は島根県2日目。5年越しのあこがれ湯町窯へ、旅は続きます。
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