▶︎現代美術の中で読む文学について
国立新美術館で8月28日から開催されている展覧会「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」に行ってきました。
映像作品や彫刻、写真など様々な表現方法のインスタレーション作品を生み出す6人の現代美術家と、その中に見られる文学性をテーマにしたこちらの展覧会。
とても見どころがたくさんあって、一般1000円、大学生500円というお値段の割にとても充実した展覧会だったのでとてもおすすめです。
■Sky eyes
最初に紹介されているのは、ナンバープレート、建築模型、テーブル、イスなどのオブジェ、映像、写真から構成される田村友一郎の新作インスタレーション《Sky eyes》(2019)。
Profile
田村友一郎 Yuichiro Tamura
1977年富山県生まれ、京都府在住。空間全体を1つの作品として表現する「インスタレーション」という手法を用いている。
展示室に入って最初に目にとまるのがアメリカ、ニューハンプシャー州のナンバープレート。
ナンバープレートの図柄はこの州にあった有名な「オールド・マン・オブ・ザ・マウンテン」。遠くから見ると老人の顔に見える岩であり、パレイドリア現象と呼ばれる実際とは違って見える空目を指しています。
少し進むとガラス窓を覗く空間の中に無数のナンバープレートが横たわっていて、まるで自動車事故を表現しているかのよう。
さらに進んだ空間では天井からモニターが吊るされており、その下には無数の櫂が横たわっています。
モニターの映像とともに「(ナンバープレートに描写された)無数の岩 OR(あるいは)無数の老人の顔」、ナンバープレートに刻まれたスローガン「LIVE FREE OR DIE」などのナレーションが空間に響き渡ります。
さらにモニターで時折事故の映像が挟み込まれ、無数の櫂がまるで事故で亡くなった無数の死体であるかのような演出。
さらにナレーションは以下のように続きます。
人間が作り出した人工衛星と、人工衛星が作り出したGPS。GPSが作り出したわずかな位置情報のズレと、そこから生じる自動車事故。事故によって破損されたものの修復をする建築家や、怪我人を治療する医者。
人間が高度な技術で作り上げたシステムによって生じるズレが人間を苦しめ、それを人間の手で癒すことで回っている社会を改めて意識させられます。
■物語るには明るい部屋が必要で
次に紹介されているのは、沖縄各地の風景を被写体とした26点の写真と5点の映像で構成された、ミヤギフトシによる新作インスタレーション《物語るには明るい部屋が必要で》(2019)。
Profile
ミヤギフトシ Futoshi Miyagi
1981年沖縄県生まれ、東京都在住。社会の中で人々が抱える問題を作品のテーマにしている。小説も出版。
壁一面にズラッと並べられた写真と映像。空間内のスピーカーからは、2人の男性が自身の、もしくは家族のセクシュアリティについて語る対話が繰り広げられます。
時おり流れるベートーヴェンのピアノソナタ第32番が情念を喚起させ、物語の儚さを増幅させます。
これまでも映像作品《The Ocean View Resort》(2013)や小説『アメリカの風景』にてセクシュアリティと沖縄を主題としてきたミヤギフトシ。
今回の作品も沖縄を舞台とし、セクシュアリティの主題とともに都市に固有の生活を表しています。
■ドル / わたしのトーチ / わたしの手の中のプロメテウスの火 / 彼女たち
次に紹介されているのは、目に見えないものや時間・歴史、家族や記憶をモチーフにした作品を手がける小林エリカによるインスタレーション。
写真、映像、ドローイング、彫刻、オブジェから構成されています。
Profile
小林エリカ Erika Kobayashi
1978年東京都生まれ、同地在住。放射能や家族がテーマの作品を制作し、小説も出版。
■《ドル》(2017)
ウランガラスでできたドルマークのオブジェ。通貨ドルは16世紀初めにボヘミアのヨアヒムスタールで発見された銀で鋳造した貨幣「ヨアヒムスターラー」が語源と言われています。
この地では後にウランも採掘されますが、携わった労働者が原因不明の病に悩まされ、ウランは「不幸の石(ピッチブレンド)」と呼ばれました。
■《わたしのトーチ》(2019)
人差し指の先に火がともり、聖火リレーのトーチを表しているこちらの作品。
1936年、ナチ政権下のベルリンにおいて初めて聖火リレーが実施されました。
2年後の1938年、聖火リレーの道程を遡るかのようにナチ・ドイツの軍隊は侵略を進め、占領されたヨアヒムスタールでは戦争捕虜たちがウラン鉱石を掘ることとなります。
■《わたしの手の中のプロメテウスの火》(2019)
展示室一番奥の映像作品《わたしの手の中のプロメテウスの火》では掌から火が立ち上る様子が延々と繰り返されており、オリンピック聖火の起源と言われる古代ギリシア神話、プロメテウスがゼウスから火を盗み人類に与えたという話を連想させます。
■《彼女たち》(2019)
1940年に計画されていた東京オリンピック。日本にもギリシャからユーラシア大陸へと聖火が送られるはずでした。
ドローイング《彼女たち》は、オリンピックを楽しみに聖火を待ち望んでいた少女たちの肖像。
しかしながら第二次世界大戦中に運ばれていたのは、原子爆弾の開発のための原料であるウラン。
ヨアヒムスタールからドイツのキール港を経由して潜水艦で日本にウランが運ばれる経路が表されています。
しかし1945年、ウランが日本に着く前に原子爆弾「ファットマン」が長崎に、「リトルボーイ」が広島に投下。
ウランもオリンピック聖火も日本に届けられることはありませんでした。
■ズレ
次に紹介されていたのは、何かと何かの不一致が暗示された形式的モチーフの集合である、豊嶋康子によるインスタレーション《ズレ》(2018)。
Profile
豊嶋康子 Yasuko Toyoshima
1967年埼玉県生まれ、同地在住。1つの物の中に、いろいろな見え方や考え方が浮かび上がってくる作品を制作。
■「パネル」シリーズ(2013)
合板の表面や裏面に加工を施したこちらの作品。既存の規格で定められた太さの角材を貼り付けて幾何学模様を浮かび上がらせた作品です。
■「棚」シリーズ(2015)
棚は日用品としての機能を持っていますが、この棚は下面や脚に派手な装飾が施されています。
合板の表面や上面といった機能を妨げる面には装飾が施されていず、その裏側を観者に露呈しているのがこの作品のポイントとなっています。
1つのモチーフが見方によっては全く別のものに見えてしまう空目を意識させられる作品でした。
■チンビン・ウェスタン『家族の表象』
次に紹介されていたのは、写真、映像、パフォーマンスといったインスタレーションを通じて、故郷沖縄の米軍基地や戦争問題を取り上げてきた山城知佳子による映像インスタレーション《チンビン・ウェスタン『家族の表象』》(2019)。
Profile
山城知佳子 Chikako Yamashiro
1976年沖縄県生まれ、同地在住。沖縄の米軍基地の問題や戦争に注目した映像パフォーマンスの舞台を発表している。
あらすじ
沖縄で進められている、名護市辺野古への基地施設建設計画と、そこに関わる2つの家族のお話。
ひとつの家族は父親と母親と子供2人の4人暮らし。鉱山の採掘場で働く父は一家の大黒柱である。もうひとつの家族は年老いた祖父と孫のふたり暮らし。鉱山の傍で長く暮らしている。
家族を養うために採掘に携わる父が歌うオペラと母が歌う琉歌の掛け合いは、父の仕事が本意ではないことを示唆している。
鉱山と2つの家族が住む村の近くにある村の近くにある御嶽にかつて祀られていた「天船」は、鉱山の採掘によって無くなってしまっていた。
普天間の基地建設計画は住民の住む土地を奪う悪の権化のように報道されていますが、実際は鉱山の採掘をはじめ埋め立て、土砂の運送など地元住民の生活を支える大切な労働にもなっています。
大好きな故郷に住み続けるために故郷を削っていく、苦しみについて考えさせられる作品でした。
■「EASTERN EUROPE 1983-1984」「USSER 1991」「UNTITLED RECORDS」
最後に紹介されていたのは、狂騒的風景の撮影を得意とする北島敬三による写真の数々。
Profile
北島敬三 Keizo Kitajima
1954年長野県生まれ、東京在住。写真家として長く活躍しており世界各地を訪れて人や風景を撮っている。
■「EASTERN EUROPE 1983-1984」
北島が1983年から84年にかけて旧西ドイツの西ベルリンを拠点に東欧の国々を取材した際にモノクロフィルムで撮影されたシリーズ。
多くの場合低い位置から見上げる構図を取り、ノーファインダーで撮影されたこちらのシリーズでは、社会主義の国々で暮らす人々の陰影が滲み出ている。
■「USSER 1991」
1990年から1991年にかけて北島がソ連の15の共和国を取材したときにカラーフィルムで撮影されたシリーズ。
身に纏った様々な民族衣装は、国家体制が崩壊していくソ連に生きる人たちの誇りを表しているかのようです。
■「UNTITLED RECORDS」
こちらは日本の地方都市を中心に撮影された風景写真のシリーズ。
目立たない場所や見過ごされそうな場所が選ばれていますが、東日本大地震以降は廃れた小屋やテント、物置などの仮設建設が頻繁に現れるようになります。
風景の仮設性そのものを基底としたシリーズです。
まとめ : 現代美術から現代社会を学ぶ
今回選ばれていた6人の現代美術家は、皆現代社会の問題をテーマに掲げていました。
普段はなかなか意識することのない社会問題について、現代美術を通じて改めて考えてみるのも良いのでは?と思いました。
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