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人を消してはいけない理由/目の前のその人は自分だけのものじゃない

おはようございます。まいです。


今日は、誰かの命を消してはいけない理由を
「エゴとお遊び」の視点からお話したいと思います。



物語は終わりがあって完結します。

その為に身体は壊れてしまうものなので、寿命はあるでしょう。
思ってもみない事故で亡くなってしまうこともあるでしょう。
そのように人が亡くなるときは、かならず物語を生むときです。
関わった人々が、触れた人々が、エゴを使い悲しんだり苦しんだりほっとしたり、感情を感じるのです。

表現が難しいですが、奥の自分にとっては、感情を感じ、物語に抑揚がつき「この感情はこんな感じなんだね。すごいや。」と味わっているのです。


しかし、
物語のほとんどは人が生きているものと関わっているときに進むのです。


Aさんがいたとします。
自分と関りがあります。
しかし、それだけではありません。
Aさんは、Bさんの物語を面白くする登場人物でもあるわけです。
更にBさんは自分の物語を面白くする登場人物でもあるわけです。

自分と同じように、
他の人も物語を進めています。
身体を使って存在し、エゴを使って楽しんでいるのです。


奥の自分に戻るとわかるはずです。
人生を使って物語を面白く進め、
感情を感じたい奥の自分(人生の総監督)が、
登場人物を減らしたいと思うでしょうか。


わざと、減らしにいこうと、思うでしょうか。


自分自身がこの物語の主人公で、奥の自分が「自分の物語の総監督」だという視点に戻ってみてください。
エゴ(演出)を刺激し物語を面白くしてくれるのは、脇役(人、自然)の働きです。
目の前の人は、他の人にとっても脇役です。
ぐるぐる回って自分の物語に戻ってくるのです。

道をすれ違っただけのその人でさえ、大切な登場人物です。
どの視点で生きるか、自分自身で決められるのです。

エゴとおあそび まい


世界中の人が、自分の人生の総監督視点でいられたら、
いらぬ殺人などは起きなさそうですね。
みんなが自分の人生に集中し始めるから。


いざこざさえも、お遊戯の演技のようになってしまうかもしれません。


以上が「エゴとお遊び」の視点から見た
人を消してはいけない理由です。
本当に軽く、シンプルですよね。


次回は、自ら命を絶たない理由/簡単すぎてキョトンとする話をお話します。

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