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「どうして私は機嫌が悪いの?」感情コントロールの為にやったこと【1選】これだけ!

割引あり


イライラしては
自分を責めてしまう。


不快の感情を感じると、
どうしても止められない
頭の中の声。


周りを見ては比べ、比べては隠し
いつも後ろめたさを感じていました。

ちょっとしたことで
不快を感じたり、極端に喜んだり…

感情のコントロールが出来ず
人に関わるのも一苦労でした。


そんな自分を嫌い続け
いつも何かのせいにして生きているような感覚を
持ち続けていました。

……しかし、


感情の全てをエゴが感じていると気づいた時、
物語が動き始めました。

「エゴとお遊び」との出会いです。



はじめに

私がしている「エゴとお遊び」とは

沢山の方々の教えや思考方法、
在り方などを拝見させていただき、
時間をかけて勉強し続け、
これしかない!と決めつけず
自分自身の中で整理し納得した
独自方法です。



エゴを「自分が選んだ」
という事実をもとに、
エゴの存在を認めながら、
新しい世界を作り出す方法
です。


エゴは人生の演出家です。
エゴの演出はリアルでバラエティーに富んでいてサイコーなのです。
(主に感情表現)


その中で、
演出(感情表現)がリアル過ぎて辛い方々
届けばよいなと思っています。






「どんな感情もエゴが起こすもの」
と位置付け、
快を感じるエゴであろうが、
不快を感じるエゴであろうが、
エゴを見つけること
に重きを置き、
エゴを整えると、
感情を落ち着かせる事ができます。

プロの演出家「エゴ」が編み出す、
感情の数々…

レベルが高い(快)(ポジティブ)
「喜び」「感謝」「やすらぎ」「興味」「希望」「誇り」「愉快」「鼓舞」「畏敬」「愛」等

レベルが低い(不快)(ネガティブ)
「怒り」「恐れ」「不安」「悲しみ」「失望」「羞恥心」「罪悪感」等

「感情の種類」他にもいっぱいありすぎ!!!









感情のコントロールはエゴ管理




感情にレベルというものがあったとしても


レベルが低いものは総じて「不快」なので、
それらは全てエゴの演出です。

そして、ご存じの方もいらっしゃると思いますが
レベルが高いとされるもの(喜びなど)でも、
エゴを通して感情を感じています

感情レベルが高いものは
魂と繋がっているから感じるんだと決めつけてしまったり、
これが良い事だ!と決めてしまうのも、
そこに隠れたエゴに気づけない可能性があります。


目の前に現れた出来事で、楽観的な感情が沸いていても、
根元のエゴと一体化していることに気づかなければ、
その逆の出来事が起きれば不快になり、
感情レベルは低くなります。


感情レベルが落ちれば「落ちてしまった…」と
また落ち込む材料にしかならないのです。

「整った部屋で生活する自分は素敵」とすれば
→真逆の出来事「汚い部屋にいる自分はダメだ」と、
否定し落ち込むような感じ


感情レベルが低い時に「物事がうまくいかない」というのは、
エゴが出来事に反応し、不快な感情を伴うため、
「私」の行動に影響が出るためです。


本人がこれに気づかない状態を「エゴと一体化している」と、
私は表現しています。





「なにもなくなる」


私はよく「奥の自分」という存在を出します。
人によっては魂といったり、
大いなる存在だったり……
好きな呼び名で良いと思います。

エゴを取り出すと出てくる存在なのですが、
その存在は、
この身体を使って
人生の物語を面白くしたい総監督のような存在です。

エゴとお遊び まい「奥の自分」



奥の自分はどんな感情も最高な演出なので、
常に「いいねー!何?この感情!重たいねー!キャッキャ」と、
面白がっています。



総監督の視点に戻ると「全部オッケー」なので、
その出来事に対して感情は「なにもなくなる」のです。

「全部オッケー」 = 良いも悪いもない
良いも悪いもない = なにもない

うまくいくも、
うまくいかないも「なにもなくなる」ので、
どっちでも良いという感じです。


同時に、
総監督の視点で自分に
「どう在りたいか」を問うと、
目的地を思い出す事が出来ます。
(私の場合は安堵感や軽やかさをイメージします)


すると、
エゴの感情に左右されなくなった「私」の、
行動が自然と変わり(新しいエゴを採用)、
物語の進行が滞るということがなくなります。

結果、なんだか順調にいっちゃう。
というだけなんです。
(物語として面白いか面白くないかは別ですよ?)


感情はただのエゴ発見アラームです。
アラームでしかないのです。
(感情のレベルとされているものも、
 その人によって変わるのではないでしょうか。)

「それぞれの視点」がありますよね。


アラームに気づいて行う💖「エゴとお遊び」

まとめると…

感情を感じているのは過去に選んできたエゴであり、
エゴに気づき認めて、
取り出してあげることで、
奥の自分(人生の総監督)に戻ることができます。
「全部オッケー」という感覚から、
視界が開け、何もなくなります。

それから、
在り方(目的地/私は【軽やかさや安堵感】)を問い、
思い出し、
自分の在り方を尊重した新しいエゴを選び直す
行動が自然と変わり、物語が進んでいくのです。

「エゴ探し」からの「エゴとお遊び」



「エゴ探し」について、
私自身のエゴの例をあげてお話してみます。

なにもなくなっていく過程【1】
「私が受けた神様のお告げです。」とか言う人

なにもなくなっていく過程【2】
息子が「ママに言ったら痛い面い合わせるぞ」と言われていた


【ご購入にあたり ご注意ください】
読み物としてご理解いただける方のみ、
ご購入お願い致します🥰





なにもなくなっていく過程【1】

【1】 「私が受けた神様のお告げです。」とか言う人

を、SNSで見かけて、私は違和感を感じました。

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