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「自分にやらせてあげる」という世界は優しい/子供と歯医者さんの関係

おはようございます。まいです。

前回の記事で子離れの仕方についてお話ししました。

「エゴとお遊び」では、子育ては苦しいものではありません。
むしろ、どんどん軽くなっていく世界が広がっています。

エゴとお遊び まい「推し活2/子離れの仕方」

今回は子育て中の出来事に「エゴ探し」をして、「エゴとお遊び」ができたエピソードをお話ししたいと思ます。



先日、息子の初虫歯治療に立ち会いました。




「〇〇が、自分にやらせてあげる」という世界


検診にひっかからず、気づけば進行していた虫歯。

痛くなってからでは遅いといいますが、本当にそうで
麻酔をして削らなければならないところまで進行していました。


「麻酔」「注射」「削る」「初めて」=「怖い」

と紐づけている息子はパニック。
15分ほどで終わるはずの治療が、嫌がり大泣きで40分程かかりました。


虫歯は治したい。でも注射が怖い。でも治したい。
息子は恐怖から逃げ出したくてたくさん叫んで泣きました。

注射しないと始まらないので、ここはみんなで押さえ込むことを選択。
彼の意志ではないけれど、先生の提案を私が選んでお願いしました。

「恐い」や「不安」は「勝手に助けてもらえる状況」を生み出していく

恐れは自分のエゴが作り上げた演出。とはいえ
恐れは逃げれば逃げるほど、助けの力が強くなり、
「強制的に助けられていく」わけです。
「治って快適になる」「安堵感を得る」などを目的地にしていれば、
そこへ行くための最短ルートが強制的に選ばれます。

そして、麻酔中は押さえつけられてあらがえない状況に。

最初は抵抗していた息子も、
あきらめて力を抜いたとき、彼は気づきました。

息子(注射…痛くない…)   母((笑))

初めに塗ったクリームのおかげで、痛くないんですよね。

大暴れだったけれど、麻酔は終了。
あとは削って詰めるだけ。


大切な自分に「やらせてあげる」と、サポートが入っている事に気づける


落ち着いてきた息子は
先生方と、自分の挑戦できる範囲をすり合わせ 会話しながら、
一生懸命恐怖と向き合い始めました。
少しずつ自分で治療台の上に座るようになって、
先生方、私の提案を聞いて少しずつ自分の中で整理している様子。

息子「怖いけど2秒なら頑張れる。」
それに付き合ってくれる先生。
先生「早いけどキーンとするやつと、ゆっくりだけどキーンとしないやつ。
どっちがいいかな」
息子「ゆっくりなほうがいい。」
じっくり削っていく先生。
先生「ゆっくり削るなら大丈夫なんだね。早いほうがこの半分以下の速さで終わるよ」
というと、削っても麻酔で痛くないんだとわかり、
早く終わるなら…と腹をくくった息子は
息子「早いほう…」と口をあけたのです。

先生に伝え、先生の提案を自分で選び、治療をしてもらいました。

はじめは恐れと一人で戦っていた息子は、
気づけば先生方と一緒に恐怖に立ち向かう道を選んでいました。


治療は無事終了。

息子はニコニコしながら歯科衛生士さんに「またね^^」と挨拶していました。

この時間、彼を成長させる大切な時間となりました。
本当に、先生方や待っていてくれた次の患者さんには大大感謝です。


「恐怖の乗り越え方で子供のエゴが決まる」


帰り道は、歩きながらたくさんお話をしました。

恐かったんだね。たくさん泣いたね。
でもやってみたら痛くなかったね。
自分で落ち着く事ができたね。
先生とお話ししながら決めていけたね。
自分で選んで出来そうなことから自分にやらせてあげれたね。
次の患者さんも待っていてくれたね。

治療が終わり恐怖に打ち勝った安堵感と、
サポートされていたという温かさを感じていました。
顔はむくんでパンパンだけど、軽やかな足取りで帰宅しました。


息子が大人になって、似たような状況を見かけたら
子供の成長を見守ったり、サポートしたいと思える大人になってくれると
素敵だなと思いました。


自分の為に自分で選んで自分自身にやらせてあげるのは、
誰かの提案を選んだとしても
「自分でエゴを見つけて選んでいる」ので、
我慢して選んだというより 譲歩して納得して選んだことになるわけです。
納得しているので誰かや何かのせいにしなくなります。


子供が誰かと対立した状況になったとしても、
エゴの話しをすると理解が深まっているので、
「相手も選んできたエゴを使っているんだな」と想像できるようになり、
対立の内容が大きな問題ではないということに気づくことが出来ます。


わたしが今やっていること(エゴ探し)を、子供はその時点で終わらせていることになるのです。

自分が自分にやらせてあげる」という世界は
優しく、軽やかな人生を歩むために必要な自己愛であると感じます。

エゴとお遊び まい




すでに選んできた大人側のエゴ

いずれ、ゆがんだタイプのエゴとなる


治療中、私のエゴもいっぱい見つかりました。

子供の頃にもんもんとしながら抱えたものは、良い悪いをぎっちり詰め込だエゴとなります。
たとえば…

「我慢ができるとがっこいい。我慢ができないのはかっこわるい」
「痛みに強いとかっこいい。大泣きして、怖がるのは恥ずかしい」
子供の頃、歯医者さんで泣いていたら「小学生にもなって」と笑われた。
「時間通りにできるのがあたりまえ。
 時間がかかると次の人に迷惑をかける」
「検診にひっかからなかったとはいえ、
 虫歯を見つけられなかったのは私のせいだ」
完璧な母親像を思い描いているエゴは、
迷惑かけてるぞ、自分の子供もコントロールできないクズ、みたいなことを言ってくる。

このエゴ達と一体化してしまうと、出来事によって感情を激しく揺さぶられます。
風邪以外の表現に使うのはあまり好きではありませんが、こじらせてしまうと自分の子供意外の行動や反応にも不快を感じ始めます。

苦しくなってしまうのです。

私はそれらのエゴを思い浮かべ、
今回はそれらのエゴを採用せず よしよしとなだめながら
(そっか、そうなんだね。思っていてもいいよ。大丈夫。と)
息子の治療を見ていました。

恐怖に立ち向かっているのは息子です。
私は何かの配慮をしなければ、とエゴを採用しなくても、
その時出来る精いっぱいの事をするだけです。

それ以上も、それ以下もありません。
軽やかに今を感じ、その場を経験することができます。


待っていてくれた次の患者さんに


「時間がかかると次の人に迷惑をかける」というエゴと落ち着かせていたからといって、
次の患者さんに対して「子供なんだから仕方ないでしょ。待っていて当たり前でしょ。」なんてことは全く思っていません。
このエゴは時に便利で必要なエゴなので、ただ認めてなだめて取り出しておくだけにします。

エゴを見つけて採用しないと、
自分自身を傷つけるような言葉は出てきません。

なので「この時間、ありがたいなぁ。。」という感謝が自然と溢れます。

システム上、直接待たせてしまった事への謝罪や、
お礼を伝えられなかったのですが、
その患者さんの幸せを心から願うこともできました。

エゴを採用していたら、
自分自身を傷つけるような言葉がでてきたり、不安を煽ってくる言葉も出てくるので、帰り道は子供にあたったり、イライラして会話もできなかったかもしれません。
家に帰ってきても そのことばっかり考えていたかもしれません。
それでも、奥の自分的には、完璧でオッケーなのですが、
もっと今に集中して軽やかに生きていたいのであれば、
「エゴ探し」「エゴとお遊び」は、本当にオススメです。


「自分にやらせてあげる」世界はあなたにとって
どんな場所になるでしょうか?


コチラの記事で、また違う視点で「自分にやらせてあげる」世界への繋がり方をお話しています。↓



ぜひコメントであなたが見つけたエゴを教えてくださいね✨

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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まい |エゴとお遊び 
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