私の「見えない世界」での楽しみ方
おはようございます。まいです。
わたしは不思議な体験ができるとか、
見えないものが見えるわけでも、
透視できちゃうわけでもありません。
よくあるタイプの人間だと思います。
自分に自信満々で「わたしは何でもできる!」と思えない人間です。
子供の頃に、ちょっと見えてしまった世界があって、
それを引きずっていました。
今は何にも見えないし聞こえません。
あんなにリアルだったのに、夢だったのかもしれないなんて思いながらも、
いつかまた、人には見えないそれを見る事が出来るようになるだろうと期待していました。
いつまでたっても見えるようにはならず、
目に見えるものしか信じられない世界へ突入し、なんだか苦しくて、人生を軽い感じで生きていきたくて、
スピリチュアルの色々なことを調べたり試しても、
いまいちパッとしない日々を過ごしていました。
しかし、あるとき、腑に落ちる世界を見つける事ができました。
まだあの世界は見えも聞こえもしないけど、
奥の自分の視点と今生きている現実の世界との関りで、自分の物語が進んでいることに気づいたのです。
エゴとお遊びしている以外は、とくになにもしていません。
ですが、面白い毎日を過ごしています。
以前のパッとしない毎日も、すべてが今の為に動いていた「通過点」でしかなかったのです。
パッとしないと決めていたのはエゴでした。
「何かを成し遂げなければならない」「優秀でなければならない」「人の為に生きなければならない」「人望厚くなければならない」数々のエゴと一体化して、喜びや悲しみの基準にしていたのです。
数多くの情報の中で、いろんな人がこの事について教えてくれていたのだろうと思うと、気づくのに時間がかかりすぎですが…(笑)
40歳になった年に、頭の中で聞こえるのは「奥の自分の声」と「エゴの声」だけということに気づきました。
自分の人生の物語を進めているのは、自分です。
自分以外にこの物語を進める事はできません。
見えない人間には、見えない人間なりの人生の遊び方があります。
たとえば、私はタロットカードが好きです。
エゴと遊んでいると気づく前は、人生の指針を自分で決められないので、助けを求めるようにタロットをみていました。
最近は助けを求めるというよりかは、
ふとした時に見て「やっぱりそうですよね」と、
奥の自分の声の確認に使ったりもします。
その時の自分の感覚が全てだと思うと、
ぐっとパワーがみなぎるのです。
これらもすべて、受け取り手に寄るのです。
受け取り手がエゴか奥の自分か…という事です。
次回は「奥の自分がオールオッケーな理由」です。
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最後まで読んで下さり、ありがとうございました^^