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「エゴ事」他人だろうが、自分だろうが


おはようございます。まいです。



他の人の出来事を、自分事のように感じた時
それらはすべて「エゴ事」です。

これはそもそも、
自分の目の前で起きた出来事
感情がグラグラになっているときでも同じだと考えています。


自分の責任を放棄して、他人事のように扱え!という話ではなく、
大きく揺れている感情は、どこからきているのか?と、
気づくということです。

過去に向き合うとは、
選んできたもの(エゴ)を認識するということだと考えています。
出来事が重要なのでなくて、
選んだこと(エゴ)でどんな感情を抱いたか。と。



「エゴ探し」は過去に向き合う事


大きな出来事ほど、たくさんのエゴが見えてくるし、
パニックになりそうなら
「怖すぎるので、いったんこのエゴを採用します!!決めました!!」
でいいです。

落ち着いてから紙に書き出します。
もしくは携帯のメモでも、パソコンでも良いです。
(紙に書き出さなきゃダメという人もいるけど)
自分に合う方法は自分でしか見つけられないですからね。


気づいたとき、本当に視界がクリアになります。
「うわぁ……!!」ってなりますよ(笑)

「エゴのせい」ではなく、
自分がそのエゴを採用して主導権を渡していただけなのだと。

重要すぎて泣けてくる

エゴは消し去るのではなく、存在を認めます。
エゴを満足させるのではなく、存在を認めるだけです。
自分から取り出すのです。そして、奥の自分(人生の総監督)が「オッケーオッケー!全部オッケー!」と言っているのがわかるので、

本当はどうしたい?
どう在りたい?

と、繰り返し問います。
私の場合は「軽やかに、安堵感」をイメージします。(いつものです^^)

↓「奥の自分」の事など、こちらの記事で詳しくお話ししています。



エゴと一体化している場合、どんな出来事に対しても
自分事ではなくエゴ事で不快を感じているだけなのです。

主導権を自分に戻すだけなんですね。



最後まで読んで下さり、ありがとうございました^^

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まい |エゴとお遊び 
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