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ボナパルト家を取り巻く女性たち - ジョゼフィーヌ編《7》離婚の危機


◆これまでのお話

亡き夫との間に2人の子供を抱えながら、32歳でナポレオンと再婚したジョゼフィーヌ。

ジョゼフィーヌの肖像画、年代不明


しかしナポレオンは、結婚式の翌々日にイタリア遠征へと旅立って行きました。

イタリアで大活躍の一方、ジョゼフィーヌに熱いラブレターを何通も送るナポレオン
そしてフランスとの国境に接する地域を征服、「そこを通って私の元に来て欲しい」と懇願します。

しかしジョゼフィーヌは全く気が乗りませんでした。
実は夫がイタリアへ発った直後から、新しい愛人と浮気をしていたのです。

…という話からの続きです。

《これまでの話》

第1話: 出生地の謎と最初の結婚
第2話: 泥沼離婚、修道院へ
第3話: 革命、そして投獄
第4話: 新たな愛人バラス
第5話: ナポレオンとの出会い
第6話: ナポレオンとの結婚

◆年下イケメンとの浮気

愛人の名前はイッポリト・シャルル
ナポレオンの下で働いていたルクレール将軍の副官でした。

イッポリトはジョゼフィーヌより9歳年下、背は高くなかったけれど、浅黒い顔に長く黒い髭をたくわえた美男子だったそうです。

(勝手にイッポリト・シャルル想像写真)


また彼は冗談を言って人を笑わせることにも長けていたそうです。

ナポレオンはちょっと一本気過ぎて融通が聞かない感じですから、タイプが違うイッポリトに惹かれたのかもしれませんね。

さてそうとは知らない状態のナポレオン、ジョゼフィーヌに一刻も早く自分の所へ来て欲しいとしつこく手紙を出します。

しかしジョゼフィーヌは、

常勝将軍の妻として、周りがちやほやしてくれるパリからわざわざイタリアへ行くなんて…

しかも夫がそばにいたら、愛人とイチャイチャできないじゃない!

そんな思惑から、具合が悪いだなんだと言い訳を並べて、出発を延ばしに延ばしていました。


一方こちらは痺れを切らしたナポレオン、
「妻が来るまでここを動かないッ!」
な状態になってしまい、困った周りの人間に促されて、ジョゼフィーヌは渋々イタリアへ発ったのです。

――ナポレオンの兄やジョゼフィーヌの召使いに加えて、イッポリト・シャルルも一緒でした。

◆夫婦の再会

ようやく夫婦はミラノで再会するものの、ナポレオンは軍務が立て込んでいました。

その為ミラノに長く滞在する事は出来ず。
しかしジョゼフィーヌは司令部まで一緒に行くのは嫌だと言い張り、2人はまた別々になるのです。

すると、彼女の滞在先にイッポリトが度々顔を出すようになるのでした。

ナポレオンとジョゼフィーヌが滞在していた
セルベローニ宮殿。
Geobia • CC BY-SA 3.0 Wikimedia Commons 

そんな訳で妻とはギクシャクしていたものの、戦いの方は相変わらず絶好調だったナポレオン。

北イタリアを支配していたオーストリア軍を蹴散らして東へ東へ。
そして1797年3月、オーストリア本国へとなだれ込んだのでした。

イタリア遠征の大ざっぱな戦歴
(地図: 紀行地図 さんより)


これはまずい、と慌てたオーストリア政府は戦いを停止、外交交渉を求めてきます。

その結果、同年10月17日にカンポ・フォルミオ条約が締結され、ナポレオンのイタリア遠征は終了しました。

条約の公開部分の最後のページ

こうしてナポレオンは1年以上離れていたパリに帰還し、結婚後ほぼ初めてとも言えるジョゼフィーヌとの同居生活が始まるのでした。

(↑パリのヴィクトワール通りに建っていた
2人の邸宅。)

◆帰国、エジプト遠征

しかし、イタリアにいた頃のような燃える恋心の炎は、ナポレオンの心からふっと消え去ってしまったようでした。

盛り上がっていたのは、単に遠距離だったからなのか、敵国と戦っていたからなのか…

もしくは、気持ちが冷めたのはイッポリトとの浮気を勘付いたのか。

ナポレオンがイッポリトとの浮気に気付いたのはこの後のエジプト遠征の時とされていますが、それより前から疑いは持っていたようです。

逆にジョゼフィーヌは、ナポレオンの心が自分から離れていくのを恐れ始めました。

イタリア遠征に同行した際 諸国から贈られた宝物や贅沢品に囲まれた生活を送るようになって、もう以前のようなその日暮らしの生活には戻れません。

イタリアの宝石彫刻家による、ジョゼフィーヌの顔が彫られたカメオのペンダント。
The Walter’s Art Museum CC BY-SA 3.0 



イッポリトとの付き合いは続いていましたが、軽薄な彼とは一緒になれる気がしないし…
ジョゼフィーヌは悩み続けました。

そんなこんなで、帰国から数ヶ月経った1798年初頭。ナポレオンは新たな計画を立てます。

宿敵イギリスと、イギリスの植民地インドとの重要な中継地点であるエジプトを手中に収め、ダメージを与えてやろうという作戦です。

エジプトは、イギリス⇄インドの重要な中継地点でした


そして新たなる野望を胸に、1798年5月、エジプトへ向けて旅立ちます。
これが有名な「エジプト遠征」です。

ピラミッドの戦い

一方のジョゼフィーヌは、夫がエジプト遠征中の1799年4月、パリ中心部から12kmほど離れた場所にあるマルメゾン城を購入しました。

マルメゾン CC BY-SA 3.0
Wikimedia Commons


城の正面玄関。人間と比べるとその大きさがよく分かりますね。
Moonik• CCBY-SA 3.0 Wikimedia Commons


ジョゼフィーヌの寝室。Moonik• CCBY-SA 3.0
Wikimedia Commons



森と広大な庭園を有するこの城は、当時のナポレオンの全財産だけでは賄えない価格でした。

しかし、ジョゼフィーヌも売主も、ナポレオンがエジプト遠征で金を持って帰ってくるに違いないという考えの元、勝手に城の売買を成立させたのです。


そうとは知らない、エジプトはカイロへ向かうナポレオン。
その道すがらで、副官から妻とイッポリトとの愛人関係をずばり聞かされます。

この副官も、何故よりによって異国の地でどうにも出来ない事を喋るのか、と思ってしまいますね。
カイロのナポレオン。
心なしかションボリしているような…

以前から少し疑いはあったけど、違うと信じていたのに。
激昂したナポレオンは、兄に手紙を書きます。

ナポレオン
「妻にはがっかりです。私がフランスに帰ったら、1人で住むための家を探しておいてください」


そして、軍人となりナポレオン軍に同行していたウジェーヌ(ジョゼフィーヌと前夫との長男)は、母にこんな手紙を書きます。

長男ウジェーヌ。同じ画家が描いたせいか、血の繋がりは無いのに1つ前のナポレオンの肖像画とそっくりですね。
「ボナパルトがたいへん不機嫌です。
何となく耳にしましたが、ママがシャルル(愛人イッポリト)と会っていたこと等々を聞いたようです。
私のママへの愛情は変わりませんが、将軍(ナポレオン)はひどく傷ついています。
ママがこちらにおいでの時は、全て忘れられていると良いのですが」

ところが、この2通の手紙を乗せた船がイギリスの船に捕まり、何とナポレオンが書いた手紙の方はイギリスの新聞に載ってしまいます

妻に浮気され 悲嘆に暮れる様子の手紙が、 敵国の新聞に載るとは…相当恥ずかしかったでしょうね。

さてその後のナポレオン、フランス国内がゴタゴタしてると聞いて急ぎ帰国します。

もちろん、ジョゼフィーヌと別れてやる!という気持ちのまま。

すると、あの不貞の妻は、浮気ばかりか無断で城まで買ってるし!

これまで見て見ぬふりをして来た事も勘弁できなくなり、ナポレオンは妻に三行半を突きつけました。

次回、最終話。
ジョゼフィーヌはフランス皇后になりますが…

参考

ナポレオンとジョゼフィーヌ (中公文庫) 

ナポレオン戦記


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