300年前のトランスジェンダー政治家から見る、英米LGBTの歴史
1701年から1708年までの間、当時イギリスの植民地だったニューヨークとニュージャージー州で総督を務めた エドワード・ハイドという人がいました。
この名前は、清教徒革命において活躍した彼の祖父と同じ名前。
その為、当記事では彼の称号であるコーンベリー卿(Lord Cornbury)の方を用いて話を進めます。
スキャンダラスな総督
このコーンベリー卿、現役時代に酩酊やら横領やら様々なスキャンダルがありました。
中でも最も有名なのが、女装癖。
「毎日のように女物の服を着ていた」
「議会に女装して現れた」
など、複数の目撃証言がありました。
因みに妻帯者で男女4人の子供がいましたが、妻は総督時代の1706年に死亡。
コーンベリー卿は夫人の葬儀に女装して現れ、そこから女性の格好をする事が増えたという話も。
( 女装姿のコーンベリー卿を描いたとされる絵 )
性自認の謎
ではコーンベリー卿はクロスドレッサーだったのでしょうか?
それともバイセクシャル?
或いはそれ以外?
コーンベリー卿の性自認は 資料によって解釈が分かれますが、私は「分からない」説推しです。
考えるのを放棄した訳ではないですよ!
LGBTの権利(16〜18世紀)
その事を証明する為に、イギリス及びアメリカ(植民地時代含む)におけるLGBTの歴史を、Wikipedia「LGBT史年表」を元にまとめました。
コーンベリー卿が総督に就任したのは1701年。
何とこの時代、同性同士(特に男性)の交わりは死に値する犯罪だったのです。
しかもコーンベリー卿の家系は、英国君主とも血の繋がりがある貴族。
妻をめとり、後継者を残さなければならないという重圧があった事は想像に難くないでしょう。
そう言った時代背景・身分などの理由から、
「コーンベリー卿は自身の性自認に合う行動を取る事が難しかった」
↓ つまり
「女装をしていた、妻子がいたという記録だけでコーンベリー卿の性自認を判断するのは不可能」
と考えるのが妥当な気がします。
LGBTの権利(19世紀〜現在)
次に、コーンベリー卿亡き後のLGBTの権利の歴史も見てみましょう。
性的少数者の権利を守ろうという動きが出てきたのは、1800年代に入ってからだったのですね。
2018年には、エリザベス女王の三従弟であるアイヴァー・マウントバッテン卿(Lord Ivar Mountbatten )が同性婚を果たしています。
また2021年7月のニューヨークタイムズの記事では、アメリカ全体で1000人近くにのぼるLGBTQの人が選挙に当選したとありました。
コーンベリー卿の時代と比較すると、随分と性に対する受容が進んだ事が分かります。
それはよかった、めでたしめでたし。
…で終わらせても良いのですが、個人的には何か違和感。
性の理解、本当に進んでいる?
先出のクロスドレッサーとか LGBTTQQIAAPとか、今回の記事を書く際初めて知った言葉でした。
私が不勉強だと言われればそこまでなのですが、正直ジェンダー問題がそこまで身近に感じられない…
そこでここから先は、日本に住む私がジェンダーの話題に対して感じたことを綴ります。
(長くなるので、別記事にしました)
ジェンダーの話題について、自分は
何故知らないことが多いのか?
この話題をどう捉えていくべきか?
という問題を考えてみました。
ここまでご覧下さり、ありがとうございました!
参考
・Unlearned History
《 The First Transgender Governor of New York 》
↑コーンベリー卿の性自認に関する考察は、ほぼこちらを参考にしました
・Wikipedia
《 Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon
》
・NYC LGBT Historic Sites Project
《 Portrait of an Unidentified Woman (Lord Cornbury), New-York Historical Society 》
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