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ボナパルト家を取り巻く女性たち - ジョゼフィーヌ編《6》ナポレオンとの結婚


◆これまでのお話

裕福な貴族と結婚して一男一女をもうけたものの離婚、その後別れた夫をギロチンで失ったジョゼフィーヌ。

子供の養育費や生活費を賄うため、女を武器に時の権力者に擦り寄りながら、刹那的に生きていました。

そんなある日、ひょんな事から愛人の部下であるナポレオンと近づきになります。

当時ナポレオンは軍隊で徐々に功績を上げている所でしたが、ジョゼフィーヌ的には

「ちびで野暮ったくてタイプじゃないわ」

ぐらいの印象でした。

1793年のナポレオン

しかしナポレオンは、男性歴の豊富なジョゼフィーヌに夢中。

親しくなって半年も経たないうちに彼から強引にプロポーズして、その後2人の婚約が公示されました。
1796年2月の事でした。

ここからの続きです。

《これまでの話》

第1話: 出生地の謎と最初の結婚
第2話: 泥沼離婚、修道院へ
第3話: 革命、そして投獄
第4話: 新たな愛人バラス
第5話: ナポレオンとの出会い

さてナポレオンは、婚約者ジョゼフィーヌの為に指輪を用意します。
今でも写真で見ることができます↓

ゴールドのリングに、しずく型のサファイアとダイヤモンドがセットされたトワエモアリングでした。

⚫︎トワエモアリングとは
"toi et moi" (You and Me)という言葉の通り、2つの同じ大きさの石を並べたデザインの指輪です。
"2つの魂がひとつになっている"、或いは"2人の絆"を表すそう。
参考: Cherche Midi 

当時のナポレオンは、まだ大出世の手前。
大金持ちというわけではなかったので、この指輪はそこまで高価なものではなかったと言われています。

ところが、2013年に指輪がオークションにかけられ、94万9千ドル(この記事を書いてる時点のレートで1億800万円くらい)で落札されたそうです!


余談でした。

さてこの2人、婚約が公示された翌月の3月9日に結婚式を挙げました。

ジョゼフィーヌはナポレオンより6つ年上でしたが、当時姉さん女房というのがあまり好ましくなかったらしく、ジョゼフィーヌは4歳若く、ナポレオンは2歳年上に年齢を誤魔化して届出をしました。

離島生まれで出生証明書が準備できない、と言った理由をつけたようです。

ナポレオンはこの式に2時間遅刻。
そして何も悪びれずに式を挙げさせたそうです。

更にその2日後、イタリア遠征へと旅立って行ったのでした。



イタリアへの道中、ナポレオンはマルセイユの家族たちを訪ねます。

何故なら、家族にジョゼフィーヌとの結婚の事を言っていなかったから。


ナポレオンの家は、敬虔なカトリック教徒。
性にだらしなく奔放で、しかも6つも歳上のジョゼフィーヌとの結婚を許してもらえる筈はないと踏んで、先に既成事実を作ってしまったのです。

文字通りのスピード婚だったのですね。

ナポレオンの予想は当たり、ジョゼフィーヌは彼の家族と上手く行くことはありませんでした。

◆熱烈な片思い

さてこのイタリア遠征とは、フランス国境に接している北イタリアを占領していた敵対勢力を討伐する為の戦いでした。

以前より3年もの間決着がつかず、フランス国内での軍事的活躍で注目されていたナポレオンが、この戦いの司令官に大抜擢された訳です。

当時のイタリア地図。青のサルデーニャ王国
(大陸側のピエモンテとサルデーニャ島を合わせたエリア)を巡って争っていました。
User:Shadowxfox; derivative work: User:Enok • CC BY-SA 3.0 
Wikimedia Commons


ナポレオンは、兵力も物資も乏しかったフランス軍をこう言って盛り上げます。

兵士諸君、裸だ、食べ物はない。
政府は諸君に何も与えてくれない。
私は諸君を世界で最も肥沃な平原に連れて行く。
諸君はそこで、名誉・栄光・富を得るであろう。
Wikipedia - 「イタリア戦役(1796-1797年)」

しかしその一方で、頭の中はパリに置いてきたジョゼフィーヌのことでいっぱい。

行軍や戦いの合間に、パリへ手紙を書きまくります。

いとしいあなたから遠ざかるにつれて、体から力が抜け、耐えられなくなるような気持だ。あなたのことは頭から永遠に離れない。
私の心に、頭に、胸にあるのは、いとしいジョゼフィーヌ、あなただけだ。
私だけのジョゼフィーヌ。
あなたから離れていると、心は踊らない。
いとしのきみミオ・ドルチェ・アモールよ、またあす手紙を書く。
(中略)下の方に、お腹の下のほうに接吻を送る。
全て『ナポレオンとジョゼフィーヌ』(中公文庫)より

その他、「君からの手紙の内容は冷たすぎやしないか」「また明日手紙を書く」などなど………

一方のジョゼフィーヌは、この手紙を「ボナパルトって変な人ね」と友人たちに見せびらかして笑い者にしていました。

(イメージ)

さて手紙の内容はアレですが、ナポレオンはイタリアで大活躍していました。

お得意の砲撃(ナポレオンは陸軍士官学校で砲兵科出身でした)を駆使し、敵軍はどんどん後退せざるを得ない状態に。

遂に相手から休戦条約を申し入れてきました。


彼は兵士達を讃えてこんな声明を出します。

兵士諸君、諸君はニ週間で六回勝利をおさめ、二十一棹の連隊旗を奪い、五十五門の砲を奪取し、敵要塞をいくつも占領し、ピエモンテの最も肥沃な地方を掌中におさめた。諸君は一万五千の敵将兵を捕虜にして、一万人以上を殺し負傷させた!」
『ナポレオンとジョゼフィーヌ』(中公文庫)より

そして、休戦条約にピエモンテ(下図赤線内)の自由往来を付け加えさせます。

これは、パリへの最短経路を確保するため、そしてジョゼフィーヌがそこを通ってナポレオンの元へ来られるようにする為でした。

この頃のヨーロッパ


いつも妻から手紙が来ないだの内容が冷たいだの不平をこぼしていたナポレオン、これでようやく「いとしいジョゼフィーヌ」に会う条件が整いました。

彼はこんな手紙を書きます。

約束通り、早く来てくれ。
(中略)
さあ、翼をはばたかせて、早く来なさい、早く!
(中略)
あなたの胸に口づけを、もう少し×××に、さらにもっと×××に口づけを贈る!
『ナポレオンとジョゼフィーヌ』(中公文庫)
※伏字は筆者

伏せ字になっている所は、後の学者の言葉を借りると「アカデミーの辞書に載ってない名のついた個所」です。

さてこの頃のパリはと言うと、ナポレオンの連戦連勝に大歓喜。

ジョゼフィーヌも、ナポレオンの妻として国民から尊敬の眼差しを送られ、ちやほやされます。

イタリアの画家によって描かれたジョゼフィーヌ



そんな中、先にご紹介した「早くイタリアに来るように」という手紙を受け取ります。

しかし、全く気が進みません。

実は彼女、ある若い軍人と浮気をしていたのです――。

続きます。

次回、ナポレオンに浮気がばれて離婚危機に。
そして彼史上超絶赤っ恥の出来事が??

ちょっと休憩

変態なラブレターのお口直しに(笑)、ジョゼフィーヌがその香りを愛したというスミレの画像をどうぞ!

参考

ナポレオンとジョゼフィーヌ (中公文庫) 

Cherche Midi
Wikipedia

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