ボナパルト家を取り巻く女性たち - ジョゼフィーヌ編《6》ナポレオンとの結婚
◆これまでのお話
裕福な貴族と結婚して一男一女をもうけたものの離婚、その後別れた夫をギロチンで失ったジョゼフィーヌ。
子供の養育費や生活費を賄うため、女を武器に時の権力者に擦り寄りながら、刹那的に生きていました。
そんなある日、ひょんな事から愛人の部下であるナポレオンと近づきになります。
当時ナポレオンは軍隊で徐々に功績を上げている所でしたが、ジョゼフィーヌ的には
「ちびで野暮ったくてタイプじゃないわ」
ぐらいの印象でした。
しかしナポレオンは、男性歴の豊富なジョゼフィーヌに夢中。
親しくなって半年も経たないうちに彼から強引にプロポーズして、その後2人の婚約が公示されました。
1796年2月の事でした。
ここからの続きです。
◇
さてナポレオンは、婚約者ジョゼフィーヌの為に指輪を用意します。
今でも写真で見ることができます↓
ゴールドのリングに、しずく型のサファイアとダイヤモンドがセットされたトワエモアリングでした。
当時のナポレオンは、まだ大出世の手前。
大金持ちというわけではなかったので、この指輪はそこまで高価なものではなかったと言われています。
ところが、2013年に指輪がオークションにかけられ、94万9千ドル(この記事を書いてる時点のレートで1億800万円くらい)で落札されたそうです!
余談でした。
◇
さてこの2人、婚約が公示された翌月の3月9日に結婚式を挙げました。
ジョゼフィーヌはナポレオンより6つ年上でしたが、当時姉さん女房というのがあまり好ましくなかったらしく、ジョゼフィーヌは4歳若く、ナポレオンは2歳年上に年齢を誤魔化して届出をしました。
ナポレオンはこの式に2時間遅刻。
そして何も悪びれずに式を挙げさせたそうです。
更にその2日後、イタリア遠征へと旅立って行ったのでした。
◇
イタリアへの道中、ナポレオンはマルセイユの家族たちを訪ねます。
何故なら、家族にジョゼフィーヌとの結婚の事を言っていなかったから。
ナポレオンの家は、敬虔なカトリック教徒。
性にだらしなく奔放で、しかも6つも歳上のジョゼフィーヌとの結婚を許してもらえる筈はないと踏んで、先に既成事実を作ってしまったのです。
文字通りのスピード婚だったのですね。
◆熱烈な片思い
さてこのイタリア遠征とは、フランス国境に接している北イタリアを占領していた敵対勢力を討伐する為の戦いでした。
以前より3年もの間決着がつかず、フランス国内での軍事的活躍で注目されていたナポレオンが、この戦いの司令官に大抜擢された訳です。
ナポレオンは、兵力も物資も乏しかったフランス軍をこう言って盛り上げます。
しかしその一方で、頭の中はパリに置いてきたジョゼフィーヌのことでいっぱい。
行軍や戦いの合間に、パリへ手紙を書きまくります。
その他、「君からの手紙の内容は冷たすぎやしないか」「また明日手紙を書く」などなど………
一方のジョゼフィーヌは、この手紙を「ボナパルトって変な人ね」と友人たちに見せびらかして笑い者にしていました。
◇
さて手紙の内容はアレですが、ナポレオンはイタリアで大活躍していました。
お得意の砲撃(ナポレオンは陸軍士官学校で砲兵科出身でした)を駆使し、敵軍はどんどん後退せざるを得ない状態に。
遂に相手から休戦条約を申し入れてきました。
彼は兵士達を讃えてこんな声明を出します。
そして、休戦条約にピエモンテ(下図赤線内)の自由往来を付け加えさせます。
これは、パリへの最短経路を確保するため、そしてジョゼフィーヌがそこを通ってナポレオンの元へ来られるようにする為でした。
いつも妻から手紙が来ないだの内容が冷たいだの不平をこぼしていたナポレオン、これでようやく「いとしいジョゼフィーヌ」に会う条件が整いました。
彼はこんな手紙を書きます。
伏せ字になっている所は、後の学者の言葉を借りると「アカデミーの辞書に載ってない名のついた個所」です。
◇
さてこの頃のパリはと言うと、ナポレオンの連戦連勝に大歓喜。
ジョゼフィーヌも、ナポレオンの妻として国民から尊敬の眼差しを送られ、ちやほやされます。
そんな中、先にご紹介した「早くイタリアに来るように」という手紙を受け取ります。
しかし、全く気が進みません。
実は彼女、ある若い軍人と浮気をしていたのです――。
続きます。
次回、ナポレオンに浮気がばれて離婚危機に。
そして彼史上超絶赤っ恥の出来事が??
ちょっと休憩
変態なラブレターのお口直しに(笑)、ジョゼフィーヌがその香りを愛したというスミレの画像をどうぞ!
参考
ナポレオンとジョゼフィーヌ (中公文庫)
Cherche Midi
Wikipedia