震災の跡が消えても、震災の記憶は忘れない。震災に強いまちをつくるために、危機管理室ができること。
神戸市危機管理室とは、神戸を安全で安心なまちにするために災害対応や国民保護、地域防災計画の策定、防犯、交通安全などの業務を担う部門。今回、取材に応じてくれたのは、神戸市危機管理室の大野さんと福井さん。実は2人とも阪神・淡路大震災当時はまだ幼く記憶はほぼないという。現在は災害対応や防災啓発、地域防災計画の策定などに携わる職員として、震災を知らない大野さんと福井さんが、日々どんな思いでまちを支えるための活動を手がけているのか話を伺った。
混乱のなかで得た危機管理の気づき
1995 年1月17日、大野さんと福井さんは共に物心がつく前の年齢でした。そのため2人には震災の記憶がありません。福井さんのご両親によると自宅のガラス窓が割れ、電気やガスは止まり、福井さんは幼いながらもその異常さを感じ取って泣いていたそうです。
一方で、神戸市は想定以上の大きさの地震に混乱していました。神戸市の事前の想定では今後起こりうる地震の最大震度は5で、人的被害は予測されていませんでした。しかし、実際に発生した阪神・淡路大震災の震度は7で、想定以上の地震に対して初動が遅れてしまいました。また、震災時の助けとなった割合は自助(自分自身で身の安全を守る)が7割、共助(周囲の人たちが協力して助け合う)が2割、公助(公的機関による救助)が1割でした。大規模な災害では行政による救助の割合はどうしても小さくなってしまいます。この経験から、自助、共助の大切さを実感することとなりました。
市民も行政も意識を変えるきっかけに
震災により浮き彫りになった課題を解決すべく、神戸市は多くの事業を行ってきました。その一つが、地域防災計画の抜本的な見直しです。この見直しにより初動体制を始めとする震災に対する行政の体制や対応がより実践的、実用的に定められました。また、災害時に初動がすぐに取れるように危機管理室には24時間365日体制で職員が常駐しています。
さらに、震災により自助、共助の必要性も見直されました。その結果、神戸市では今日にいたるまで積極的に防災啓発や防災訓練などを行ってきました。地域では、自主防災組織として自治会やPTAなどの方々で防災福祉コミュニティが構成され、地域ごとの防災に関する計画や防災訓練を行うなど、自助、共助の強化が図られてきました。
加えて、2016年には大容量送水管ネットワークシステムが完成し、現在では災害に備えて市民一人あたり12日分の水が確保されています。その他にも橋の耐震補強や、まちの電柱を少なくするなど災害に強いまちづくりのために様々なインフラ整備が行われきました。このように、神戸市では、阪神・淡路大震災で得た教訓から今後の震災による被害を最小限に留めるために精力的に活動を行ってきました。
危機管理室で学んだ連携の大切さ
このように様々な防災事業を担う危機管理室でお仕事をする上で、大野さんが学んだことは連携の大切さでした。巨大地震が発生した際は、行政だけではどうしても対応しきれません。地震が発生した直後は、自助、共助の精神に基づく行動が不可欠です。さらにその後も、市民と事業者と行政の相互間での連携が必要になります。例えば、避難所の開設は行政が行いますが、その後は徐々に市民の自主運営に任されていきます。また、備蓄物資も行政の備蓄だけでは、長期的にはまかなえないため、国や他の地方自治体、協定を結んでいる事業者などとの連携を図ることになります。「日頃から何かあった時の連携が取れるような体制を作っておくことが非常に重要だと思います」と大野さんは語ってくれました。その体制強化の例として、神戸市では日頃から市民や事業者などと協力して行う防災訓練などが行われています。
震災の記憶を受け継ぎ、対策することが重要
「神戸がめまぐるしく復興するにつれて、震災の記憶が風化してきているように感じる」と福井さんはおっしゃいます。福井さんと大野さんは共に震災を知らない世代です。しかし、地震から市民を守る立場として震災を風化させないことを重要視しています。
大きな地震は、大雨や台風などの災害と異なり毎年のように起こりません。このため、ほとんどの方は震災経験がなく、震災に備えて防災を意識することは難しく、どうしても億劫になってしまいます。しかし、最近ではアウトドアグッズが直接防災グッズとしても使えたり、卓上ライトの蛍光灯の部分がそのまま懐中電灯として使えたりと、趣味や日常の延長で防災を取り入れることができます。また、「1月17日や東日本大震災が起きた3月11日など、大災害が起きたメモリアルの日には、多くのメディアが震災について取り上げたり、震災の経験を風化させないためのイベントが全国で行われます。こういった活動も、災害について知るチャンスととらえ、今一度防災に興味を持ち、地震に対する対策を少しでも行って欲しい」と大野さんは語りました。
震災から時間が経つにつれ、まちは震災などなかったかと思えるほど復興し、学生が授業で視聴するような震災の映像もどこか自分事と捉えることができなくってきています。しかし、震災はいつ起きてもおかしくありません。もしかしたら明日起きるかもしれません。「震災がいつ起きても対応できるように危機感を持っていただいて、有事の行動のシミュレーションや、共助で大切になる地域との関わり合いを大切にして欲しい」と最後に福井さんは語ってくれました。
神戸を震災に強いまちにするために必要なこと
約一時間半に渡るインタビューを終えて、私が最も強く感じたことは、お二人の「真剣さ」です。紙面の都合上、この記事内に全ては書けませんでしたが、危機管理室の事業や体制、防災計画について他にも多くのことを取材させていただきました。このような話を聞く上でお二人ともとても防災について詳しく、市民の方の命を守るために真剣にお仕事に取り組まれていることが分かりました。
震災から25年以上が経ち、震災を知らない世代が神戸市で働き、まちを支え始めています。防災事業についても例外ではなく、大野さんや福井さんを含む震災を知らない世代が神戸市の危機管理を担い始めています。私は、今後時間が経つにつれて震災を知らない世代の人の割合が増え、どうしても震災に対する大人の意識は低くなってしまうのではないかと考えていました。しかし、お話をお聞きするうちに、その考えを改めることとなりました。インタビューでは、真剣かつ丁寧に危機管理室での事業や、有事の際に市民の方を守る体制について教えていただきました。また、事前にお伝えしていた質問に対する資料も作成していただき、少しでも正確にわかりやすく伝えようとしていただきました。インタビュー中、お二人が震災を知らない世代であることを忘れてしまいそうになるほど、今後起こりうる災害に対する危機感を持っておられました。こうした、強い意識を持つ背景には、震災を風化させずに意識を引き継いでいこうという神戸市の強い姿勢が垣間見えました。また、このことから震災を知らない世代でも啓発や震災の経験を引き継いでいくことで、震災を経験した世代と同様の意識を持つことができるかもしれないと感じました。市民一人ひとりが防災意識を強く持つことができれば、震災が発生した際の連携も全く異なったものになるのだろうと感じました。そのために、どれだけ時が経ったとしても震災に関する経験や知識を発信し、防災の啓発活動を行っていくことが神戸を震災に強い場所にするために大切であると気づきました。
(文:横田 虎太郎)
《神戸市危機管理室のお二人のプロフィール》
大野敬介さん:平成29年度神戸市役所入所。その後、長田区役所まちづくり課を経て現職の神戸市危機管理室に就く。
福井涼平さん:平成30年度神戸市役所入所。その後、建設局の中部建設局事務所を経て今年度より現職の神戸市危機管理室に就く。
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