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部活動とバターの刑

娘と散歩

かれこれ2年ほど、中学校の近くに住んでいる。家の窓から学校の校庭が少し見えるぐらいの近さで、たまに部活動の掛け声が風に乗って聞こえてきたりする。

先日、娘から『散歩に行きたい』とおねだりされたので、2人手を繋いで中学校の体育館近くまで歩いた。
ちょうど部活動の時間帯で、体育館ではバスケットやバレーボール、外ではテニスコートでテニスとみんな部活動を頑張っている姿が見えた。
娘が部活動をしている様子を見たがったので、邪魔にならないように少しだけ抱っこして見せたりしていたら、何名か気がついたらしく、可愛いと言われたりして娘は大喜びだった。私もやりたい!と駄々をこねていたが、何とかなだめすかして帰ってきた。

自宅近くの中学校は母校でもなく縁もゆかりもないのだが、久しぶりに部活動を見て、私も自分の中学時代を思い出した。


蔵馬に恋する中学生


少し前に書いた記事にも書いたが、私は中学の3年間、美術部に所属していた。

(こちらの記事です)
https://note.com/11599/n/n5fcf8949b9af


顧問の先生はなぜか絵筆ではなく竹刀を持ち歩き、少しでもデッサンやデザインの手抜きが分かると問答無用で竹刀が飛んでくる部活だった。

この記事にもあるが、私は絵が好きだとか絵を描くのが得意だとかは1ミリもなく、それどころか最初は部活動に所属する気もなかった。

それに当時私は、幽☆遊☆白書の沼にはまっていた。

蔵馬が大好きで恋をしていると思っていた。
(アホや)

当時は夕方から毎日、幽☆遊☆白書の再放送があり、授業が終わったら一刻でも早く家に帰って蔵馬に会いたかったのだ。
(頼むから目を覚ましてくれ、アホや)

しかし、中学校に入学してから部活動をしていないと高校受験に響く。それどころか帰宅部は高校に受からない、との噂を聞き、えらいこっちゃと部活動を探し始めたのだ。


バターの刑


部活動選びだが、運動神経は壊滅的にないので運動部は最初っから選択肢になかった。
これを機会に何か運動を始めるという選択もあっただろうが、私の通っていた中学は部活動に所属する生徒は朝の7時から1時間、延々と校庭をグルグル走らせるという決まりがあった。体力づくりのためとのことだが、私は密かにバターの刑と呼んでいた。ちなみに雨が降ったら中止ではなく、体育館内をグルグル走ることになるので、年中逃げようがない。

ただでさえ運動が嫌いで早起きも苦手なのにこれは地獄である。

文化部は吹奏楽部と美術部の2つしかないが、吹奏楽部も肺活量が重要になるので毎日ではないがバターの刑に参加しなければならないらしい。
頻度は少ないらしいので毎日バターになるよりましだが、私は音符が読めないのだ。
致命的だ。
なのでピアノも全く弾けない、猫ふんじゃったすら弾けない。こちらもかなり致命的だ。

常々疑問に思っていたのだが、、みんな猫ふんじゃったをどこで習うのだ。音楽の授業にはなかったぞ。


部活動紹介では初心者大歓迎!とアナウンスしていたが、実際は吹奏楽部に初心者なぞ、ほぼいないのが現実だった。
犯人探しじゃないが、これで吹奏楽部のセンは消えた。もう、美術部しか残らない。

肝心の美術部へ入部してどうなったかだが、自慢じゃないが私は部員の中で竹刀で叩かれた回数NO.1だった。

絵が下手だったし、デザインの才能が皆無だったからNO.1で当たり前なのだが、あまり絵の勉強をする気もなく、いつも辞めたいと思っていたのが表に出ていたのだろう。

そんなに嫌なら辞めたらいいじゃないか、と思うだろうが、世の中そんなにうまくはいかない。

部活動を辞めたとしても『美術の授業』は必ずあるのだ。

実際、顧問が変わってから何人かの先輩たちが辞めていった。変わってからというのは私が入学する前の顧問は優しい女の先生だったらしい。その先生は私が入学するときにちょうど転勤されたらしく自分の運のなさを呪ったが、辞めた先輩たちは以前の部活動とのギャップに耐えきれなかったようだ。みんな辞めるときは竹刀で叩かれることと、辞めた後も美術の授業で説教をされるのがセットになっていた。

学校に美術の教師は1名だった。また逃げ場はない。竹刀で叩かれる度胸も授業の度に説教され続ける根性もない私は我慢して留まることを選んだ。

だが、そのうち段々慣れてきて隙間時間に落書きをしたり新しい友達ができたりして少しずつ楽しみを見つけていった。


スクールカースト

数多くある部活動の中で文化部は舐められがちだ。スクールカーストってやつだ。あの頃は分からなかったが先生たちの権力争いやカーストもあったのだろう。
部活動何してる?と聞かれて美術部と答えると大抵は舐められる。

だが、顧問の先生はパフォーマンスやアイデアを出すことが上手かった。
運動会や文化祭等の学校単位の行事では、いつもみんながあっと言うような凄い企画を打ち出した。学校内だけでなく外部や他の学校でも話題なっていたぐらいだ。話術も上手く、生活指導の担当をしていてヤンキーを上手く押さえ込んでいたのもあり、ある程度の権力を持っていたように思える。


不当な扱いを受けたこともあったが、報告するとすぐ対処してくれた。美術部全体を随分庇ってもらったのだなと今更ながら気がつく。顧問の先生の力がなければもっと邪険にされ、隅に追いやられていた部活動だったに違いない。

一度、『部活生は全員朝練をすること』の御達しが体育会系の先生から入ったこともある。顧問の先生に確認したところ『美術部はやらなくていい。体育会系の先生と話をする。』とのことだった。
御達しを出したのは学校を取り仕切っている厳しい先生だったので撤回はないだろう、せっかくバターの刑(バターの刑と呼んでいたのは私の中だけだが)を免れたと思ったのに、と部員全員が酷く落胆していたが、結論本当に美術部だけやらなくていいことになった。どうも持ち前の話術と権力で押し切ったらしい。

だが、よくよく考えるとわかる。

おそらく本音は朝早くの出勤が面倒だったんだろう。

朝練をするとなれば自分も朝早くから学校に出勤しなければならない。

こういうところも上手い先生だった。


先生へ


今振り返るとこの道を選んでよかったのだと思う。
もし部活動をやっていなかったら、中学3年間の放課後はどうなっただろう。
幽☆遊☆白書の放送は1年も経たず終わってしまっただろうし、その後勉強に打ち込んだとも思えない。きっと、ぼーっと蔵馬に恋する、友達も少ない学校生活で終わってしまったに違いない。

私は中学の頃の顧問の先生と同じ年齢だ。
同等の授業や企画ができるかといったらとてもじゃないができないしできていない。おそらく教師ではなく一般の企業で働いていても仕事の進め方が上手い人だと思う。
中学生の頃はろくに会話もせず、竹刀で叩かれるのみだったが、今会えたら大人の会話ができるだろう。
もしいつか会えたら感謝と尊敬の意を伝えよう。


娘へ


私の子供は今3歳だが、一体どんな部活動に入るだろうか。
いや、10年後部活動というものがあるだろうか。
教員不足やブラック部活動が問題になっているし、今とは形がかわっているかもしれない。もしかしたら部活動という制度自体が無くなっているかもしれない。

もしいつか、子供が悩んでいたらこの話をしてあげよう。

幽☆遊☆白書の話は伏せよう。
これを話すとまずい、かなりまずい。

先日の散歩中、中学校の部活動を見ていたら、気がついた子たちが娘に手を振ってくれた。
娘が手を振る方になるのは随分先の話だが、この日の話もいつか話してあげたい。

娘もいい中学生活が送れますように。

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