鎖
あの女が追いかけてくる。
早く逃げなければ。このままでは捕まる。
私は足が遅いがあの女よりは早いはずだ。それにまだ若い。体力も十分あるし全力で走れば絶対逃げられるはずだ。
しかし、いざ走り出そうとするが、背負っている鞄が重くて思うように走れない。
あの女が追いついてくる。
ニヤニヤしながら必死に逃げようともがいている私の横を並走してくる。
もうだめだ。
私は一生この女の手から逃げられないのだ。
ここで目が覚める。
目覚めて感じるのは諦め。
どんなに逃げたくても私はどこにも逃げられない。
よく見る夢だった。
逃げている場所は中学生時代の通学路。
自宅から中学校までは徒歩20分。
田舎なのでバスや電車は通っていない。自転車での通学は許されていない。通学手段は徒歩のみ。
遮るものなど何もなく、ひたすら畑が続く。
辺りに家もなく夜は暗闇に包まれる。
重い鞄は現実と同じだった。
中学時代の鞄は重かった。中身は教科書や資料集がぎっしり詰まっている。
どこの中学校でもそうなのだろうが、置き勉(教科書等の勉強道具を教室の机やロッカーに置くこと)は禁止されていた。教科書を学校に置くと自宅で勉強しないから、という理由で。
置き勉をしていないか抜き打ちでチェックが入り、見つかると重い罰が課せられる。
毎日学校に到着する頃は重い鞄の運搬だけで疲れ果てていた。
楽しいことなど何もなかった。
あの女とはかれこれ4年会っていない。
電話も着信拒否しているし、今の住所も教えてない。
捕まることなどないはずだ。
しかし情報というのは誰から漏れるかわからない。
あの女とは私の実の母親のことだ。
憎くて怖い。
唯一の肉親とはいえ、もう会いたくない。
電話もダメだ。声を聞くだけで恐怖を感じるようになってしまった。
一体なぜこんな状況になってしまったのだろう。ずっと我慢してきたのにいつからか我慢できなくなった。
今の私はあの女に負けることなど一つもない。
手に職をつけ、働いているし、一応周りからの信頼もある。
自分の家族も持って何不自由ない暮らしを送っている。
なら正々堂々胸を張って会えばいいはずだ。
あの女は私を褒めない。
重箱の隅を突くように私の欠点を探し出し、ネチネチとけなすだろう。私に言うだけでは飽き足らず、そのうち親戚や近所に言いふらす。
ずっと耐えてきたのだ。でも今会えばターゲットは私の子供だろう。あの女から見ると孫だ。孫はかわいいものだ、孫を虐める祖父母などいない、とよく言われるが、例外もある。私が祖父母に可愛がられなかったことが証拠だ。
ここであの女の元へ戻ってしまっては同じことの繰り返しだ。
繰り返してたまるか。
それが分かっているなら、この選択はきっと正しい。
もうあの女には二度と会わない。
夢を見ていた頃と違い、逃げようと思えば容易く逃げられる。飛行機でも電車でも使って。荷物が重ければ車で運べばいいし、捨てて後から買えばいいのだ。
あの女は車の運転は近所がやっと、飛行機も電車もほとんど乗ったことがない。1人では何もできない、かといって人を頼ることもできない。私を追いかけることさえできないはずだ。
遠い場所で好きなことをして、私は私の家族と幸せに暮らす。
私の中にいるあの頃の私に言わなくちゃ。
辛かったね。
耐えて、頑張ってくれて本当にありがとう。
おかげでここまで来れたよ。
鞄の重さで逃げられないあなたを今ならどこにでも連れて逃げられる。
一緒に行こう。
胸を張って歩ける場所へ。