見え方 聴こえ方
視覚優位のお話を教えてくださった方へ
凄いなと思いました。カメラで写したように参考書や辞書も覚えていくと聞いたことがあります。
私は、覚えておくのは難しいです。
視覚優位だと試験で強みになるし、記憶を繋げれば仕事でも能力を発揮し役立ちそうですね。
その反面、インパクトのある忘れられない光景を映像記憶として残してしまうから辛いと言っていた方もおられました。
想像もつかないんです。
あなたはどのように世界が見えているのですか?
あなたが見えている世界を心から感じてみたい。
私は耳で聞いた、主題に関係ない言葉は割りと覚えられるのですが。聴覚の方が強いかもしれない。
でも、沢山の人が集まり雑談している中で重要な事を話されると全部拾おうとして集中できず、聞き逃しが出てきてしまうことがあります。
意味を考えながら聞いてしまったりすると流れに置いていかれる。
皆はあんなに喋っているのに指示やら何やらに従える…
自分ペースで取り組みたいから、ノートに書き込んで家に帰ってから頭を整理して考えたりもしていました。
とても面倒です。
余計なことははしおれたらいいのにね。
記憶に残る音の数々に、言葉の意味を割り振り、当たり前にできることが、できないって一生懸命さが増していくし、とっても疲れるんです。
そのかわりに、聴こえ方が人より違って日常のそれとない音が時には美しく時には強く突き刺さる。
例えば雨上がりの木々から見える木漏れ日に葉が風で擦れる音。
風と一言で言ったって色んな種類がある。
そよ風なのか、波風なのか突風なのか。はやて、春一番、、、
過ぎ去る風が当たる、様々な物によって体形を変化させる音の響き方の違い。
日々の移ろいの中で、今まさに体感しているその時に視点が当たった感じ方が教えてくれる感性。
雨の後は柔らかさに潜んだ湿り気が、憂いを装い、気だるさを増長するから、
晴れた日の眩しさにはない、静寂した静けさに漂う薄い光に大地を踏みしめる音にしたって、
靴底から滴り落ちた雨水と混ざった土の感触とザクザクしたリズムに刻まれ、森林に入った時なんかは物語の一場面がそこらじゅうから湧き上がり、秘かに豊かに始まる。
気がつけば、大きな壮大なメロディとなり景色と同化して何度も何度も感動を呼び起こす。
音は言葉を持っているように思えて好きです。
音から言葉の意味を探すのも、言葉を音のように捉えるのも普段の何気なく転換される言語としての認識する作業が、視界を伴い初めて完成されていく。
映像記憶が残りやすかったらちょっと大変だったかもしれません。
視覚優位に憧れはあるのですが。
他の人にはない感情や見方があって、一つとっても同じじゃないから、まっいいかと、何でもありさ!
と思わず書いてしまいたくなりました。
それでも、音がしないと安心できることもある。
使い過ぎた感覚を休ませたくなる日があって、音にやられる日は、静かな時間がほっとする。
穏やかな時を過ごし、自分を大切にしてあげたい。
強さは武器になるけれど行きすぎると諸刃の剣になり、弱さを認めると人や自分にも優しい見方で接することができるんだって、開き直り精神で楽な気持ちで、自分に合ったやり方で進もう。
「まっいいか。」っていい言葉ですね。