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媒体として絵を捉え 他者への接近をこころみる

「Haunted」 ボールペン・B4ケント紙

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このボールペン画は、鬱・双極性障害を原因とする「希死念慮」を わたしなりに理解しようと試みたものです
わたしはなんか親しくなった人からそういう悩みを聞くことが多くて、なんでですかね

精神的に苦しい状態や 身体的な痛みは 言葉で表現しきれるものでは無い
他人のことを完璧に分かってあげること・自分のことを完璧にわかってもらうことは基本的に不可能である
そうした意味で人間は孤独だが、だからこそ、言語以外の媒体でも他人に接近したいと思う

ギャラリー国立の展示で用意したステートメント
(結局公開されることはなかった)

自分は本気で死にたいと思ったことはないので、そうした人とおしゃべりするとき
自分とあなたは絶対に共感し合えない
という前提がまず生じる

この前提=適切な距離感をもつことは超健全だ とおもいつつ、やはり寂しさや切なさのようなものは残る
相手にまじ死んでほしくないし 究極的にはわかりあえたら 同じ痛みを受け取れたら・絶望を分かち合えたら 多少相手の希望になるのかな〜 という
とかく、他者と分かり合いたい時言語は不完全すぎるので 絵もある種の媒体として捉えてみた


・呑み込まれる感じ、終わりがない と当事者はよく言う だから鯉が執拗にまとわりついている
・そういう人 外から見ると案外なんでもなさそうな顔してることが多い そういう訳で画中の女の子の表情はかなり拘った
・キャプション「幻って思えれば楽なのにね^-^」はいささか乱暴だった気もするけど でもいちばん伝えたかった

希死念慮はこころの問題ではなく脳の問題で 幻って面も絶対あると 他人の私は勝手ながら思ってしまう し そういう医療的な捉え方を あなたにも希望にしてほしいし (ほんとこれはエゴだと思うけど、、!) って気持ちだったのだと思う


(これ描いたあと 君たちはどう生きるか 観たんですけど、鯉がまとわりつく描写が映画の中にも出てきて、くそ〜安直だったか、、、ってなりました)


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描いてから半年くらいたったけど、未だ 自分と他者 は究極のテーマ
美術でも社会学でも念頭においていきたいですね

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