第12回・里芋のいる世界
「苦手な食べ物は?」と聞かれれば、常に「里芋」と答えていた。
しっかりとした見た目のわりに、ネチョネチョとした食感が気持ちが悪くて、ずっと避けていたのだが、今は進んで選ぶ物になっている。
きっかけは急性虫垂炎での入院だった。
人生初めての手術。
1週間ほどの入院だったが、術後の経過も良く、早々にガスが出たので、手術した翌日の昼から食事の許可が下りた。
とは言っても、最初は流動食から始まる。
運ばれてきたのは、おもゆに具なしのスープ。
どちらも液体のため、食感などは無いし、驚くほど全く味も無かった。
そうなると、それはもうただ色の違う液体だ。
心を無にして飲み込む作業だと思うしかない。
そんな食事が何回か続くと、段々と気が狂いそうになる。
入院3日目の昼食後、私は良くないことだとわかってはいながらも、病院に併設されたコンビニで、食卓塩をコッソリと購入し、その日の夜にベッドの上でそれをチビチビと舐めた。
味に飢えていたためか、味覚が研ぎ澄まされており、塩分に異常なる感動をし、涙を流しながら掌に出した塩の粒を、丁寧に舌先で拾い上げ堪能した。
まるで世界がカラフルに見えるくらいテンションは上がる。
隠れて白い粉を興奮しながら嗜む姿は、完全にヤバイものだったと思う。
そして、4日目の夜。
ついに食感のある固形物が食事に出された。
それが里芋だった。
もうその状態にまでなると、苦手とかそんなものは皆無である。
目の前に現れた固形物に、ただただ興奮する。
しっかりとした見た目のわりに、ネチョネチョとした食感であったが、歯から伝わるその『今、自分は噛んでいる』という感覚は、全身に電撃を走らせた。
自分が避けていた、『里芋のいる世界』は、ガラリと印象を変えた。
パクチーも苦手だったが、それも初めての海外旅行でベトナムに行ってから食べれるようになった。
旅のテンションがそうさせたのか、現地の雰囲気や環境か、ただ単純に料理が美味しかったのか、理由はわからないが、帰国後はあのクセがないと物足らなく感じてしまうほど、パクチーを求めるようになっている。
歳を重ねると、苦手だったものや避けていたものが、ちょっとしたきっかけで自然とOKになったりする。
それは食べ物以外でも感じることだ。
それに似たような感覚で、色々なモノがキラキラと見えるようになった。
歳を取ることは、楽しい。
体力も肉体も衰えるが、決してそれは老いではない。
20歳くらいの時、私は父に「自分は父さんのようにスーツを着るような仕事はしたくない」と言ったことがある。
実際、今の本業でスーツを着ることはほとんど無いが、その言葉には猛省している。
ダサイ、格好が悪いと思っていたことも、今はキラキラと見えている。