第11回・2cmの実感
入院は何度か経験した。
今後も必要とする場合があるかもしれないが、お医者様に「入院ですね」と言われても、歳を取り、ある意味ひねくれてしまった今では、他人にうつしてしまう等の危険が無いかぎり、すんなりとそれに従うかどうか怪しいものだ。
今のところの経験だと、20代半ばくらいのが最後だ。
期間は1週間。原因は急性虫垂炎だった。
あの頃は、まだ素直だったのだろう。
まるで卓球のサーブを返すように、「入院かもね」の言葉に「ハイ」と応え、そのまま試合のペースを握ったお医者様から言われるがままにラリー、3時間後には私の腹部へメスが入れられていた。
「切っちゃおう」の一声と共に繰り出されたスマッシュは、切れ味抜群で、あの時点で試合は決まっていた。
私は確認していないが、手術後に父が、その切除した盲腸を、お医者様に見せられたらしい。
「肥大もしてなかったし、ピンクの綺麗なもんだったよ」と聞いて、本当に虫垂炎だったのかと、後に少し疑いも抱いたが、私も父も医者ではないので、あの時は言われるがままだった。
「フォームは綺麗だった」「球を拾いに行く姿勢は良かった」的な感じで、切除された盲腸を褒めて、健闘を称えたかったのかもしれないが、私は全身麻酔で寝ていただけだ。
何も頑張っちゃいない。
手術が終わったのは、日が落ちる前。
全身麻酔が解け始めてからは、断片的になんとなくの意識と記憶はあり、最初はとてつもなく気持ち良かった気がする。
まるで『天国のよう』とは、こういうことなのだろうか?と思うくらいに。
一気に意識が戻ったのは、夜中になってからだった。
猛烈な痛みと尿意で我に返ったのだ。
すぐさまナースコールで、その状況を訴えると、鎮痛剤と尿瓶を渡された。
尿瓶は初めての経験だったが、いざしようと思っても、「ベッドの上で排尿なんて」と理性が働いてしまい、出したくてもいっこうに出せない。
再びナースコールを押すと、「じゃあトイレまで行くしかないね」と、病室から50m先のトイレを案内された。
何でもない真っすぐな廊下を、片道30分かけて自力で歩いた。
たった2cmの傷口の痛みで、50mの歩行は一大事だ。
ベッドに戻ると、別の病室で鳴っていた心電図モニターの音が真っすぐになり、駆けつけていたのであろう方々の泣き声が聞こえた。
おそらくトイレに行った時に見た、看護師さんがバタバタと出入りをしていた病室だ。
命が終えた音は、私が30分かけて歩いた50mに響き、ほぼ同時に私の耳元に届いた。
私はベッドの上で感じた痛みと尿意に、『生きている』と実感すると共に、「本当の天国とはどんななのだろう」とご冥福をお祈りした。
生きることは困難だが、死はあっという間に訪れた夜だった。