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吉野川上流の祖谷川に架かる蔓橋 急峻な四国山脈に位置する徳島県三好市の祖谷地域には、屋島の合戦に敗れて逃れた平国盛と安徳帝の一行が土着したとの平家伝説が伝わる。近代まで外部との交通が隔絶されていたために、中世以来の生活様式や独特の風俗が原形に近い状態で残されている。 西祖谷の山村善徳を流れる祖谷川には、国の重要有形民俗文化財に指定された吊橋の「祖谷のかずら橋」が架けられている。自生するシラクチカズラ(サルナシ)を編み上げて作られたのが、名称の由来である。 ただ
まず橋の起源について 橋の起源については、川を渡るために飛び石を利用したり、川をまたいだ風倒木の上を動物が渡るのを見て考え出された。また、猿の群れが深い谷を渡るときのモンキーブリッジを見て、谷を渡る方法として考え出されたなどの諸説がある。 いずれも想像の域を出ないが、人類が自然の中で情報を収集し、橋というアイデアを見つけ出したことは間違いないであろう。これを積極的に発展させて利用したのが、石橋、板橋、吊橋へと発展したと考えられる。その背景には、川や谷を渡る必需性があ