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「私、コミュ障なんで」

SNSを開けば飛び交う言葉

「私コミュ障なんで」

ネット上ではなくても「私コミュ症だからなあ」としょっちゅう耳にする。みんな随分悩んでいるみたいだ。

ところでコミュニケーションとはそもそもなんだろうか。今日はコミュニケーションとはなんぞやということを真っ向から考えてみたい。

まず、コミュニケーション能力は以下の4つから構成されていると考える。
パッと思いついただけなのて、深掘りすればもっと存在するかもしれない。

1.相手の気持ちを受け止める共感力
2.自分の気持ちを伝える説明力
3.話題を膨らませる発展力
4.情報を聴取する質問力

現実に話す際とネット上でのコミュニケーションは少し違うかもしれないけれど、元を辿れば同じく4項目で構成されているように思える。

そして皆様がSNSでよく使う「コミュ障(コミュニケーション障害)」とは、恐らく説明力と発展力が欠落ぎみだということではないかと予想する。

一般的な会話は質問と回答で成立するので、基本的な質問力と説明力があれば言葉のキャッチボールは問題ないはずだ。
しかし話題を膨らませる能力が欠落している(または気の利いたことが言えない)と、人として面白みのないように受け取られがちではある。

簡単に言えばこいつと話しても盛り上がんねえな、と思われてしまう。

しかし、盛り上がらないと判断した側も会話が弾む質問や受け答えをできていないのだから退屈レベルはお互い様とも言える。

そしてネット上でよく見ると「私、コミュ障なんで」の障害レベルはかなりの軽傷者ではなかろうかと日々感じている。

リアルの生活上でのガチのコミュ障の人たちはまず人と目を合わせようとしない。
声も小さくて何を言っているか聞き取れないことが多い。
質問への回答もちぐはぐで、さらに質問を質問で返して、回答に何秒も時間がかかる。オフ会なんて絶対に自ら率先して行こうとしない。

こういった人は、とにかく「ひとが苦手だ」というオーラを全力で放出している。

ひとが苦手で関わりを持ちたがらない人は、ネットでも積極的にコメントはしない傾向にあると私は予想する。

SNSという名の海を縦横無尽に泳ぎまわり、書きたいことを書くことができ、コメントに対する返信もできているのであれば、恐らく、リアルでも普通程度にはコミュニケーションを図ることができているのではないか、と私は考えている。

ところで私ごとで恐縮だが、私は自分のことをうまく話すことも話を広げるのも下手くそだ。
これはネットでも現実社会でもそう。
とにかく自分のことを話すのが下手くそでよくそんなんでラジオ放送できるなと自分でも呆れている。

だけれども自身のことをコミュ障だとは思わない。それは日常の会話で相手の気持ちを汲んで、その上で言葉を返すことができることを知っているからだ。

コミュニケーション能力はその場を盛り上げる発展力に重きが置かれがちだが、それは違うのではないかと疑問を呈する。

コミュニケーション、気持ちのやりとりは「相手の気持ちを受け止める」から始まるといっても過言ではない。
気持ちを受け止められないと、相手とのやりとりがちぐはぐになって、お互いに分かり合えないまま会話が進行する。これは、一見会話をしているようで、コミュニケーションを図っているとは言い難い。

相手の気持ちを受け止めて、自分の考えを整理して、相手に気持ちを伝える。

この動作こそ、コミュニケーションの基本であり、ネットや現実のコミュニティで当行為ができるのなら、それはつまりコミュ障ではない、というのが私の結論である。


(補足)
このnoteは誰かと喧嘩をしたいために書いているわけではないので、私のコミュニケーション能力を試さないでほしいと渾身の力でリスクヘッジ致します。ご自身をコミュ障だと言いたい気持ちも十分お察しします。ただコミュ障だと仰る方はそれだけコミュニケーションについて考えていて、自分が求める能力に到達していないためにコミュ障だと思われている方が多いなという印象を強く受けます。つまり自身をコミュ障とだと仰る方は意識が高くコミュニケーション能力に長けている方が多いということです。ここ大事!いま良いこと言った!ここまでヤスタニの言い訳コーナーでした。今日はいつもと違う書き方をしたかっただけなんです。やめてキウイの皮を投げないで!

#コミュ症 #とは #コンテンツ会議 #論じます




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