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ハイテンション期が終わり、おとなしい自分が戻ってきた

ここ2年ほどはテンションが高めだった。地面から少し浮いたところを歩いていたような気がする。周りのことや人のことを雑に切り取って、適当にラベリングして、何も分からないままでも気にならなくて、感性みたいなものを閉じていた。

雪に囲まれた村に滞在したからか、秋田に滞在したからか、久しぶりに長距離移動をしたからか、ライターを本格的に再開したからか。どれが要因かは分からないが、自分の中を流れる空気みたいなものが丸ごと入れ替わった。そしたら、ここ数年の変なハイテンションみたいな憑き物が落ちて、懐かしい自分の感覚が戻ってきた。

そういえば、もともとすごくおとなしいタイプだった気がする。そういえば、あらゆることが気になって仕方ない人だった気がする。そういえば本が好きで、ピアノが好きで、詩を書いて、過ごしていた気がする。

こだわりや好き嫌いがとても多かった気がする。感性に蓋をすると、人に対する好き嫌いも鈍り、だいたいの人が「普通」だと感じる。でも本当は、少数の好きな人と、どうでもいい人と、嫌いな人がいるのがわたしだった気がする。

大人になるにつれて、だんだんと「生きやすいところ」を見つけて収まろうとしてしまう。でも、「生きやすいところ」に収まらなきゃいけないわけではないし、自ら望むなら「生きづらいところ」に居続けてもいいし、社会性を気にせずに生き続けたっていいはずだ。

江國香織さんと辻仁成さんの『恋するために生まれた』を読みながら、そんなことを思った。

この二人は、心のなかに幼さを持ち、それを大切にしながら生きている。恋愛に限ったことではなくて、生き方全般の話だ。

「あんまり良くないよね」と言われるものすら封印せずに、堂々と前を向きながら自分の人生を生きている。わたしも、そういうタイプだったと思う。今もそう。そのはずだ。

自分の中にある幼さを踏んづけないで、大事に育ててやりたい。それで周りから浮いてしまったり、ちょっと小言を言われたりしても、たいしたことじゃない。

道のないはずのところが光って、自分にだけは確かに道が見えるとき、そこを堂々と歩いていこう。何が見えてて、何が分かってて、何にそんなにとらわれてるの?と不思議がられる人生を、自分なりに生きていこう。

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伊藤七 | ライター
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