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【生きのびる日記】帰省中。虚無寄りの平日
虚無感に苛まれ、いま自分がいる場所が急に分からなくなる。とはいえ病むことに集中していた若い頃とは違い、虚無感を持ちながらも、日常生活はまったく問題なく送れる。
この虚無はどこからくるのだろうか。帰省すると、よく虚無に陥ってしまう。今回は東成瀬村という辺境の地に寄ったことや、夜な夜な禅問答みたいな会話をしたことで、いつも以上に心が洗われてしまって、やけに人生に対して真剣になり、虚無を強く感じているのだろう。
まず「なぜわたしは今、千葉に住んでいるんだっけ」という疑問が生まれてきた。フリーライターだから、どこにでも住めるのに。旦那と暮らす家があるから千葉に住んでいるけれど、それ以上の理由は特にない。そんな曖昧な理由で千葉に住み続けているのかと思うと、何も考えずに、ただ現状に流されているだけの仕方のない人間に感じられる。
もしもっと秋田に滞在すれば、足の悪い祖父母のために車を運転してあげられるのに。あと何回会えるか分からない祖父母を気にすることなく、のうのうと千葉で生きること。薄情なんじゃないか?と思えてくる。仮に祖父母が90歳まで生きたとしても、あと5〜10回しか会えない。それまでの間に耳が遠くなったり、ボケたり、本当に歩けなくなったり、いつどんな風に変わっていくのか何も分からない。もう亡くなったっておかしくない。
なのに何となく千葉に住み続け、今回帰省するのは1年ぶりだ。この帰省の仕方に納得感を持てるかと聞かれたら、持てない。違和感が大きいな。
また、「なぜ『いつかは子供を持ちたい』と思ってたんだっけ」という疑問が生まれてきた。学生時代は「生きるのはキツすぎるから子供なんて産んでたまるか」と思っていたけれど、そんな考えも生きやすくなるにつれて緩まり、ここ最近は「まぁいつかは子供が産まれてもいいかな」と思っていた。
でも冷静に考えると、自分の役割が増える気持ち悪さや身体的ダメージを受けることの恐ろしさなどが襲ってきて、急に全体的に受け入れられなくなってしまった。実家の子供部屋で寝泊まりすると、中高生の頃のわたしがよみがえるんだろう。中高生の頃によく感じていた、世の中に対する気持ち悪さや反発心、子供は絶対に産みたくないという誓いみたいなものが、新鮮な形でよみがえってくる。
虚無虚無の虚無だけど、言葉にすることで、なんとか虚無をキャッチして、眺めていられる。
全部の前提を疑いたくなるという、中高生の頃の感覚に襲われる。仕方ない、この感覚とも付き合っていくしかない。親切にするつもりはないけれど、殴ったり蹴ったりして追い出さなくてもいいかなって思う。横にいても別にいいよ、虚無。優しくしたりはしないけど。虚無を無くして、明るく朗らかに生きたいわけでもないからね。感じるべき感情を持ちながら、心を使って生きていきたい。それができれば満足です。
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![伊藤七 | ライター](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/4573567/profile_166b13571ac80dd6dd9bcce4952683c2.jpg?width=600&crop=1:1,smart)