高校受験を迎える子どもとの接し方
「美は一日にしてならず」というように、「我が子との関係性も一日にしてならず」だと思う。
今回、
長男の高校受験を通して、子育ての大きなイベントの時に、慌てふためいても仕方ない、それまでの関わりが、いかに重要かを学んだ。
というのも、以下を思ったからだ。
いくらでも、親の歩んできた道と同じようなレールは引いてあげられる。
なぜなら、親からわたしたちがされてきたことを、
・子育てはこうあるべきだ
・わたしたちがやってきてもりったことが正しんだ
と思い、やったらいいのだから。
多少のズレくらいは、修正できるような力量くらいみんな持ち合わせてると思う。
でも、わたしたち夫婦は違った。
わたしたちが親から言われてきたこと、されてきてことは、
大人になればなるほど、子どもが産まれて、子どもの素質を見れば見るほど、
「親のやり方は、違う」と感じていた。
もちろん、正しかったと思うことも、大いにある。
それがあるから、ある程度の教養が身について、なんとなく、色んなことがキレイにできるようになっているのだから、
親にはいつまで経っても、頭が上がらない。
それに、当時の親のことを思うと、それはそれは、悩みもがきながら、親も親なりに良いと思うことを、必死にやっていてくれたと思う。
自分がされて嫌だったことは、やらない
とはいえ、
週6回習い事に行かされていたわたしにとって、友達と遊べなかった辛さ、ぼっち感は、今でも根に持つほど嫌だった。
やりたくもないことを、やらされて、親の期待に応えなきゃと無意識に思いながら、やっている、あの感覚。
いま思うと、いい子を演じていた自分にゾッとするほどだ。
でも、
親からされてきたことを考えると、わたしは「自分が嫌だったことは、やらない。」というルールのもと、子育てを始めた。
習慣化は、良くも悪くも、あると思う。慣れるってことは、それだけ当たり前になること、当たり前にできることなのだ。
しかし、
大人になっても、その感覚はなかなか抜けなくて、作られた硬い殻を破るのは難しい。頭の回転の仕方、モノごとの捉え方、その全てにおいて、
幼少期からの育ちと、環境が作るもの。
それゆえに、
親の価値観のもとで1人の人間を育て上げることがどれだけ、影響があることなのか、子育てを始めて感覚的に理解をしてきた。
小さな点が、すべての道を作っていく
要するに、
毎日の接し方、価値観、与えてきた環境、その全てが、
大きな舞台に立つときには、もう彼ら自身に備わってるということ。
中学生になる頃には、
もう親の言うことなんて、まるで聞かないと思っておいたほうがいい。
自分の意思で、物事の分別がつけられる。判断ができる。
と言うより、自分で考えて、親に染まらないで、親の価値観なんて聞かねーよ!くらいに育ってくれたらばんばんざい。
子どもが困ってる、どうしたらいい?と聞いてくるまで、何もしないくらいがちょうどいい。
何より、何もしないくらいまで、小さい時にがっつり関わってあげることで、
あとが、本当に楽になる。
関わるべき時に、しっかりと関わる。向き合う。
安心させてあげるられるうちに、抱きしめてあげられるうちに、とことんやり切る。
それが、
高校受験を迎えるまでに、大人として、親として、やるべきことだと、今回受験を通して、また一つ学んだ。
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