#最近の学び、パートⅡ
ありがたいことに、#最近の学びで、100を超えるスキをいただいている。
私にとっては、予想外の反響だ。
励みになる。
ということで、#最近の学び、パートⅡ。
2023年4月から、こども基本法が施行される。
子どもの権利条約が日本で批准されておよそ30年、こどもに特化された基本法は初めてである。
#最近の学びでも書いたように、この基本法は、大きく人権(こどもが個人として尊重されること)にかかわる法律だ。
こどもをどうとらえるか、それをこどものVIEW(意見)から学ぼうという視点である。
おとなからの一方向的な支援ではなく、こどものいのち、成長、発達に応じて、こどもの最善の利益が保障されなければならない。
社会へのこどもの参加を保障するため、こどもの自律性や社会性を育むには、どうしたらよいのか。
こどもの側から学ばねばならない。
こどもが観ている世界、感じている世界・・・いちばん未来に近い世界から学ばねばならない。
自分の投稿でいえば、#多様性を考えるで書いた学びや、#子どもに教えられたことに書いた、自分の人生は自分で切り拓くという力に寄り添わねばならない。
こどもを信頼する。
そこから始まる。
見つめ、聴く。
そこから始まる。
そんなことを考えながら臨んだこども基本法の研修会。
仕事を終え、夜間2時間ほどの研修だったが、自分のちいさな日々の実践に大きな後ろ盾を得た研修だった。
放課後、少し道草を食いながら、「ただいま。」と、教室に入ってくる子どもたちを今日も「おかえり。」と迎える。
言いたいことを息せき切って話した後、手洗い・消毒をすませ、連絡帳を確認し、黙食でおやつを食べる。
「ふう。」とため息をつく子、おいしそうにおやつをほおばる子、おやつを食べずすぐに宿題に取りかかる子、十人十色の反応を見せながら、放課後の教室が始まる。
たわいのないおしゃべりや遊びのなかで、子どもたちが過ごす放課後の時間を今日も共有している。
そのことの意味を改めて考える。
昨今、子どもたちの第3の居場所づくりが急速に進んでいる。
多様な形態があり、放課後の時間をどう過ごすか、保護者の方の選択もまた、多様だ。
私の働く教室は、地域で子どもたちを育てる社会教育の観点から、一般社団法人として、今年度立ち上がった。
社会福祉法人からの移行である。
私たちの第3の居場所は、日常の場であって、非日常の場ではない。
地域で、家庭の機能を補完する生活の場だ。
まずは、それを保障せねばならない。
異年齢の子どもたちが、兄弟姉妹のように、同じ空間で、同じ時間を過ごす日常。
それだけで、大きな学びがある。
大きな理想を掲げなくても、その日常のふれあいのなかで、子どもたちは、考え、行動し、成長していく。
同学年のなかではうまく友達と遊べない子も、上学年のお兄ちゃんに声をかけ、ひとりっこのその上学年の子も、弟のように下学年のその子と遊んでいる。
その様子をみて、同学年の子も、その中に入って遊ぶ。
ちいさな日常の体験の積み重ねが、こども自身の社会性や自律性を育む。
「先生も、いっしょにね。」
子どもたちに導かれ、後出しじゃんけんのように、その輪に加わる。
今日は、3年生の子が、校庭で拾ったちいさな石っころを大事に持ち帰り、おやつの時間も、宿題の時間も、ズボンのポケットに入れたその石っころをすごく気にしていた。
自学の時間になり、図鑑を調べていたが、よくわからず、「たぶん石灰石だよね?」と、私にその石っころを見せた。
「学校の図書館に詳しく載っている図鑑があるかもしれないよ。」近くで見ていた子が声をかける。
「そうだね、ここは石炭も採掘していたから、いろんな石っころがまだまだあるよね。」
「明日、学校でいっしょに図鑑を見てみよう。」
そんな話をしているうちに保護者の方のお迎えがきた。
石っころを見せたその子は、理科がすきだから、理科大に行く夢があるそうだ。
近くで声をかけた子は、探求学習がすきだから、研究者になりたいと言ってっていた。
少年野球クラブに入って、甲子園に行きたい子もいる。
イラストレーターになりたい子もいる。
女子バスケの地元のプロリーグを夢見ている子もいる。
もちろん、私にはその専門的な知識や技術はないので、直接的な教えはできない。
でも、その夢に寄り添い、種まきを共有することはできる。
放課後の時間を共有する、そのことの意味。
「へぇ、そうなんだ。」「そうだったんだね。」「そんなこと、考えているんだね。」「うん、わかった。」「そうしたいんだね。」「どうする?」「だれかに聞いてみる?」「・・・」・・・「うん、そうしてみよう。」「だいじょうぶ。」「だいじょうぶ。」
そんなやり取りを子どもたちと繰り返しながら、その意味を自問している昨今の私の学びである。