見出し画像

論理性のない人間は、論理性のないことにイライラしない

記憶力に絶対の自信を持つ母(68歳)が覚え間違いをしており、主張を譲らないのだが、どうすればいいものか。冷風扇を去年使ったか使わなかったかで、わたし達は揉めている。わたしが去年、2階の廊下で使うのを母は見ていたのに、母は「お父さんが(1階の母の部屋の)エアコンを使えるようにしてくれたんだから(自分は冷風扇は使っていない)」と。

当該の扇風機は、わたしが2階廊下で可動させていた。それを否定するには、家族の誰かがその場面を見なかったかどうかのはずである。しかし、母は自分の部屋でその扇風機を使わなかった理由を根拠(?)に興奮する。自分は自室でエアコンのみをかけていたと。扇風機が母の部屋になかったなら、なおのこと、別の場所で使われていた可能性が高いというのに。

わたしは論理的思考ができないわけではない(できる方である)。そう思いたい。わたしは、物事の順番や、事象の理由を突きつめて考え、口にすることができる。

一方で母は、自分の思いを立証の論拠にする。客観性や、辻褄の合う思考や、合理的判断というものをおそらく知らない。正しいか正しくないかを問われたなら、「わたしが正しいと思うから正しい」「正しくない。わたしが正しくないと思うから」とする。そして、その理由が奮っている。「だってそうなんだから」。

わたしが何か行動しようとしているのを見つけると、母はだいたい止めにかかる。「そんなことする必要がないから」と。「わたしがそう思っているんだから」だそうである。もしそこで、なんでかと訊かれたらキレだして勝利を収める。

母が、「〜は良くない」と主張するときも、やはり滑稽である。「わたしが良くないと思うから、良くない」以外の答えは出てこない。

扇風機問題も、「わたしが1階の自室で使っていなかったから」、2階廊下にもなかったことにされて終息した。

ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。