#774 人はあっという間に死んでしまう。だから、後悔する前に動く。
いざ親孝行をしようとか、人に親切をしようと思っても、急に思いついてできることでもない。
「いろんなものを買ってあげたい」「ご飯を奢ってあげたい」「旅行に連れて行ってあげたい」と思っても、そんなに贅沢をさせてあげられるほどのお金はない。
親としてはそこまでしなくても良いという感覚でしょうし、親となった今、その気持ちもわかります。健康で元気に生きていてくれたら十分。しかし僕個人、子としての立場にいると、色々としてあげたいと思う気持ちからは逃れられません。
かといってお金をすぐに稼げるわけでもない。そのためにプライベートを投げ打って転職して、その場だけのお金を稼ぐのも違うと思う。
僕の場合、何かをやってあげたいなと思った時には、『時すでに遅し』
後悔が待っています。
本気出せばなんとかなるなんていうのは絶対になくて、どうしようもないです。そんな後悔を何回してきたことか…
あっという間に人は死んでしまう
今話題の本のタイトルのようですが、人って突然死んでしまうんだなと、最近よく感じます。
事故だったり病気だったりで急にいなくなってしまうから、いつまでも生きていてくれるわけではないんです。
常に人と死は隣り合わせなんだなと感じます。
思えば昔から死は近くにありました。
いじめによって自死を選んだ先輩
列車の事故で亡くなってしまった同級生
飲食店の運営に失敗し、自死を選んだ従兄弟
バイクに撥ねられて瀕死の状態を彷徨った甥(助かりました)
車に突っ込まれて吹っ飛ばされたアルバイトスタッフ(助かりました)
土砂崩れに巻き込まれ、亡くなってしまった同級生
2年前には働きすぎて寿命が縮んだ親父が死んでしまいました。
身の回り以外にもいろんな事故や病気、時には戦争でたくさんの人が突然亡くなっています。YouTubeなんか見てても、生きたいけど生きれないという人もたくさんいるんだなと切に感じます。
今までの人生の中で、いろんな人の死を身近に見てきて、いざという時に後悔しないように、日々全力で物事に当たらないといけない、という思いが強くなりました。
今頑張っている理由の一つです。
頑張って成果を出すには時間がかかる
しかしながら、自身を成長させて社会的に成功を収めてお金を稼ぐということは、ものすごく時間がかかることだなと感じます。
回り道しかないし、ズルや犯罪をする以外に近道はない。
ましてや20代までろくに努力もせず過ごしてきた自分にとって、社会的価値を創出できるようになるまではまだまだ時間がかかりそうです。
でも、だからと言って歩みを止めることはできません。またダラダラしたら後悔することになるし、今までの過去を悔やんで生きることになる。そうなると自分が嫌いになるでしょう。
過去の選択を肯定するためには、今頑張って挽回するしかありません。過去の教訓を生かし、「あんなことがあったから今こうして頑張れている」という方向に持っていくしかない。
自分や家族がいついなくなるかなんてわかりません。
今日かもしれないし明日かもしれない、1年後か、10年後か…
考えてもあまり意味がないことですが、そう思って頑張って、本来以上の力を身につけて、周りの人を少しでも幸せにできたらいいのかな〜なんて思っています。
ある程度頑張れている今
おかげさまで今の自分の人生には一定の満足感を得ることができています。
目標の達成にはまだまだ時間がかかりそうですが、日々全力で頑張れているし、昔に比べたら随分成長することができました。
ろくに頑張ってこなかった自分というポンコツが、普通の人と肩を並べることができたのは周囲のフォローあってのことですが、何より自分が諦めず努力したことが1番の要因です。
でもまだまだ。できないことばかりですし、課題は山積みです。
ろくにチームを成長させることもできませんし、もっともっとたくさんの人の成長を支援してたくさんの人の人生を豊かにしていきたいです。
そのために頑張らなきゃいけません。
昔から、『周囲より劣る自分は人の10倍頑張らないと成果は出ない』と思っています。なので、歩いている時間などの勉強できる時間は全部勉強にあてています。日々の業務の時間からも学べるように色々と考えながらやっています。
人によっては頑張らないといけないという言葉は強迫観念にもなりますので、取扱注意な言葉ですが、自分にとっては自分を鼓舞するのに1番効果のある言葉です。
今日も頑張ります。そして明日も、自分が死んでしまうその時まで。