皆それぞれぜぇぜぇで生きている/コガッツオ『愚かで勤勉な私たちは』より
先日、ある漫画を読んだ。
陰謀論にハマった姉と姉を救おうと苦心する妹の絆を描いた作品、というにはあまりにも衝撃的な内容なのでぜひ読んで欲しい。
この日記はネタバレを含むため、先に漫画を読んで欲しい。
読んだ??
この作品の主要人物である姉妹について。姉は受験や就職といった人生の転機で尽く失敗して、今は陰謀論を垂れ流す引きこもりの底辺Vtuber。妹は姉を大切に思うものの、合理的過ぎる小学生。
両親はそんな姉を問題視しており、陰謀論の活動を辞めなければ支援を打ち切ると言う。そのため、妹は表向きは活動を辞めるように計略を張り巡らせる。とても頭が切れる冷徹な少女のキャラクターも魅力的なのだが、ここでは姉に着目したい。
計略の甲斐があって、姉のSNSのアカウントを凍結させることに成功する妹。これで家族の目を掻い潜って姉は活動を続けられる、家族の絆も姉の生活も保たれたと思った矢先、姉は壊れてしまう。そこで妹は気がつく。
姉が陰謀論にハマっていたのは自分に都合の良い敵が欲しいだけだった訳ではなく、「自分の話を聞いてくれて、他の誰でもない自分を見てくれる他者」が欲しかったのだ、と。
ここからがより面白い。読んで!!!!
私は一話のこの部分で引き込まれた。妹の見方も間違ってはいない。あらゆる人生の転機で負け続けた姉にとって、世界を裏から支配している巨大な組織は都合が良い。巨大な力と個人という構図が作れるし、組織が働きかけてくることは無い為戦い続ける姿勢を取り続けられる。もう負けなくていいのだ。
ただ、見誤った点は作中で述べられている通り、姉は既に限界を迎えていたことだ。姉にとって陰謀論だけが社会と繋がる唯一の手段だった。きっと他の手段でも良かったのだろうが、前段で述べた「負けない勝負」ができる点で長く続けていけることが陰謀論だったのかもしれない。たとえ底辺で視聴者が3人しかいなくとも、家族という関係性を抜きにして自分そのものを受け入れてもらえる場所だったのだ。それを失ってしまうことで姉はまた負けてしまった。
先ほどから多用している「負ける」という言葉。作中でも使用される言葉だが、これは社会のシステムから排除されてしまうことだと考えている。進学や就職において、ランク付が存在して社会的地位が付随する。競争の機会の度、ランニングマシンのように走り続けなければ振り落とされる人たちが現れる。それがこの作品の姉のような人々だろう。
しかし、そうしたシステムがあるから今の社会は成り立っていて、形が無いものは変えることが難しい。変えることができるのは自分の認識だ。自分用のランニングマシンを用意しないと自分が壊れてしまう。ただ、もう走ることができないと感じてしまう人たちもいる。
この作品を読んで一概に陰謀論にハマる人を悪く思えなくなった。もちろん、流布している人が良い人という書かれ方はしていないし、私もそうは思わない。陰謀論もまた騙され、搾取される構造ではあるから。
普段よく思うことがある。たとえば就活早期化。「早過ぎる」や「大学に研究しに来てるのに」という声に対して、「早くなるのは良いでしょ」「できないやつほどこう言う」みたいな声が上がる。どちらの言い分にも一理ある。その上で、その声とは関係なく社会は回る。
結局それでうまくいった人はそのままでいいし、それに疲れた人は声をあげたくなる。そうした構造があるからか、何となく「負け犬の遠吠え」の様な扱いになっている気がする。
これも作中で言われていることだが、世の中は白か黒ではない。どこまでもグレーなことばかりだ。一人一人生まれが違えば経験してきたことも違う。だから、どれか一つが絶対的に正しい、ということはない筈だ。インターネットで白黒つけようとする議論が盛り上がるのは、結果的に多数のリプが集まったとしても、一対一での意見の交わし合いが基本としてあるからだと思う。どっちもあるよね、で終わらない。みんな言いたいことを言い合う。
これはSNSの悪さでもあり、良さでもある。どんな立場にある人の意見も基本的に同じテーブルに並ぶからだ。著名人を除いて、立場を隠して意見を届けられる。作中の姉のように自分を見て受け止めてくれる存在を見つけられる。
姉を陰謀論系Vチューバーへと駆り立てたのは承認欲求だと思う。認められたい。自分に注目し欲しい。社会から必要とされていると感じたい。つまるところは他の誰でもない自分を愛して欲しいという欲望。人生に負け続けたと自分で思い込んで追い詰められた人にとって、他者からの承認は生きる理由、生きていい理由になる。他者依存というものかもしれないけれど、私もその在り方を分かってしまう。自己肯定感はあったとしても、自己を否定する決定的な材料がある人は、誰かから必要とされる人間でいたいのだ。
いい作品にかこつけて自分の意見をペラペラ書いてしまった。この作品、かなり刺激的な内容ではあるので注意して、でも読んで欲しい。
壮大かつ暗いテーマを扱いつつも、共感してしまうのは主人公の幼さと姉妹の絆にほだされるからだ。この辺りも作者さんは描くのが上手い。というか、これを書こうと思ったのは何なんだ。思い付きだったとしても熱量がすごい。
ミヒャエル・エンデ『モモ』が扱われていたのも好きポイント。面白いよなこの作品。灰色の男たちからの視点での切り取り方がされていて、そこは目から鱗だった。社会経験を踏まえていくうちに『モモ』への感じ方は変わっていくのかもしれないな。
人間の上位存在がいない(目に見える形で干渉してこない)以上、社会が一気に変わることはないだろう。だから、社会の在り方に疲れてしまった人を支える仕組みが必要だと思う。矛盾しているか。私も他の人もみんな、それぞれに嫌なこと辛いことがあって、それでも楽しみなこと、楽しかったことがあるから生きているのだと思う。そのお互いのぜぇぜぇさを認められる心を持つことが最初の小さな一歩かもしれない。
ここまで読んでくれた人、今日も頑張ってえらい!!!!!!!!!!百点!!!!!!百点!!!!!!!百点!!!!!!!!!!