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闇がなければ光は存在できない

人生全ては、『闇と光=陰と陽』から成立している。
つまりはネガティブだけ、ポジティブだけ、という
法則は存在しないということ。
長所と短所は紙一重、表裏一体という言葉がある。
表面上どれだけキラキラしているように見えたとしても、その裏には必ず闇も共存している。
その両面がなければ、何事も存在し得ない。

突然これまでの人生全てを、思い出す流れになった。
できれば思い出したくないことがたくさんあった。
それでも、それらの闇の経験があったからこそ、
いろんなことやものを手放した今も存在していることを感じる。
もしそれらの辛い経験がなければ、平穏な日々を幸せと感じることもなかっただろう。

安定を選択すれば、自由はなくなる。
自由を選択すれば、責任が生じる。
何を選択するかは、個人の選択。
どちらを選択しても、背負うものはついてくる。
ポジティブな側面だけしかない選択など存在しない。
どちらも選択しないことも、また選択のひとつ。

何事においても陰と陽、闇と光は常に1セット。
たとえ目に見えなくとも、
現時点で闇しか(もしくは光しか)見えなくとも、
必ずいずれは反対の性質が表面化してくる。
人生とは、これを知り、受け止め、
自分の内側で闇と光(陰と陽)を統合させていくこと。
物事は外側で起こっているが、どこまでいっても
この統合は自分の内側でしか統合させることは不可能。

人は光ばかりに目を向け、闇を排除しようとする。
それは自分にとって都合がいい世界だけを見たいから、当然の防御機能でもあるが、
全てのことにおいて陰陽の法則が適応される以上、
闇を排除することは不可能であり、だからこそ
人は悩み苦しむのだろう。
ただ、闇が存在しなければ光は存在し得ないこと。
そこに気づくことで、
全ての物事には両極面があることを受け入れる流れがやってくる。
苦しみがあるから、喜びを見つけられる。
幸せを感じられるのは、悲しみを乗り越えたから。

どんな物事にも、どんな人にも必ず
闇と光は共存する。どちらかしかないって事は
絶対的にあり得ない。
だからこそ、闇のネガティブ側面ばかりに焦点を当てて あたかもそれしかないと思い込んでしまうことは
自らが、光を打ち消している事でもある。
丸ごと自分を受け入れるというのは、
ここからきているのだろう。


本日はnoteをあげる予定はなかった。
どうして本日これを書く流れになったのか、
私にもわからない。
書いている時というのは、書かされている感覚。
肉体の私はただ文字を打っているだけ。
よくわからないけれど、書かされた感覚。
日に日に時間の感覚がわからなくなり、
以前は得意だったスケジュール管理も苦手になってきた。
先のことを計画的に進めることも難しく感じるようにってきた。
その瞬間に促されることをやって生きている感覚。
どんどん直感が鋭くなって、物事を深く考えることも減ってきているように思う。
どちらかといえば、感じる力が優位になってきている。
連日、「頑張るな!力を抜け!やりたくないことはやらないこと!人は人、自分を最優先!」とメッセージを浴びまくって、
半強制的に波動調整されている感覚すら感じる。

現実的に何があったわけでもない。
穏やかに生きている最近の中で、突然このような感覚を感じることもまた、
人生光ばかりではないよ〜、ダークになる日もあるからこそ、幸せを感じられるんだぞ〜と
宇宙(ハイヤーセルフ)が再認識させるために
起きているのだと捉える。

私たちが生きているのは三次元世界でもあり、
現実の生活、時間の概念、社会的な枠組みもある中で
どれだけ地に足をつけつつも、
自分の魂が望む生き方をこの世界で実現できるのか?
それが今の最大の課題になっているように思う。




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