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統合=真逆のものをひとつにしていくこと。人生を丸ごと覆す体験。

↓の続編

私はあまり他の人ほど熱心に情報を集めるタイプではなかったが、統合期になると途端に発信者が減るというのは聞いたことがあった。
なんかわかる気がした。
今の私がそうだから。書きたい気持ちは山々!
腐るほどに書くことはある。というか、ありすぎてもう手に負えない。
だって覚醒がグラデーション状に進んで、最終ステージに近くなるともう常に上と繋がるパイプが太くなって、たった1日の中でもあまりに気づきが多すぎて、もはや処理し切れないレベルに時間が早く過ぎ去るから。
さっきまでこう思ってたのに、ころっと気づきで覆されたり、価値観の変化があまりに高速で動いていくから、とてもじゃないが文にまとめていられないのだ。
しかも、自分の人生に本気で集中しだして、本気で自分を生きることに精一杯で、まとめることにエネルギーを注げなくなる。
あと、過去最大級の体調不良ににっちもさっちもいかなくなってるから。

どうしてこんなことが起きてるのか?そう思わずにいられないほどに、怒涛のように自分の内側から外側へも何もかも、天と地をひっくり返しているのだから、とんでもない再生が起きている。
全てこれまでの私をまるごと、ひっくり返して建て直しているのだから…。

頭で知っているのと、腹落ちして腑に落ちることは全く別次元である。
そんなの私知ってるし!と思ってたことは、本当の意味で私は何も理解できていなかったこと。
いくら人から言われようが、本人が腹落ちしなくては本当の意味で習得したことにはならない。
結局私の歩んできた道ってのは、
「真逆のものをひとつに統合すること」
をしてきた。
目的地はツインレイ統合だったはずが、たどり着いた先はそんな狭いゴールではなく、ツインレイはあくまで通過点。
目覚めの過程を共に成長してきたパートナー。
ツインレイ統合もいいけど、その先に本当に自分の本当にやりたかった生き方を見つけた。
ツインレイが恋愛ではないと言われるのはここら辺のことだろう。
これほどにまで成長を促してくれる人は他にはいない。永遠に私にとってのナンバー1であることには変わりがない。
けれど、片割れとのパートナーシップだけに囚われている場合じゃないのだ。

私はすでに小中学生の頃から、ちゃんと魂のやりたい方向性をわかっていた。が、そのやりたいことを表現する方法が分からなかった。
だから、類似しているようで真逆の道に進むという体験をしてきた。
けれど、いざ社会人になってもずっと違和感が拭えなかった。この職場のせい?と転職しても、結局同じ。しまいには、ひとつの職場に定着できないのは忍耐が足りないとか、向いてないんじゃない?と私にいう人もいたし、私もそう思って自分責めをして生きていた。
でも、そうじゃなかった。そもそも私の魂のやりたいことの方向性がずれていたのだ。

病は気から、が腑に落ちてしまった。
元「気」、病「気」、「気」持ちが悪い。
全ては気の巡りが関係していたこと。

もともと東洋医学に関心が強かった私だが、
どうして「気」が1番上にあるのか?
気がなければ血も水も動けない。すなわち気は三要素の中でも全てを統括するほど重要だということ。
肩が凝るからって血の巡りだけ動かそうとしても、一向によくならないのもそもそもの「気」の巡りが改善されない限り根本的に治癒するよは難しい。
(ハイヤーってすごいなぁ、人間としての肉体を持っていないのに、いつも健康面でも困り事を伝えると、ヒントをおろしてくれる!!私が書いているのはハイヤーがおろしてくれたことをそのまんま書いているだけ。)

私は本当は病気になってから、その治療をしたいのではない。
小中学の頃から、メンタルケアの必要性をとても感じていた。予防医学とか保健にも関心が強く、
魂レベルでは病は気からであることを、子どもの頃から知っていたのだろう。
だから急性期病棟よりは、どちらかと言えばその人全体を「看る」ことができる場を探し求めていた。
覚醒が進んでいく中で、たくさんの価値観の手放し、死と再生を繰り返してきて、過去の人生もどれも「失敗」なのではなく「必要な経験」であったことを納得している。ただひとつだけ、保健師を選ばなかったことにだけ悔いがあったのだ。
看護師と保健師は似て非なるもの。
その答えがやっとみつかった。
私はすでに小中学時代に、魂のやりたいことを認識していたのだ。
私がどんくさいから急性期が合わなかったのではなく、そもそも私の魂のやりたいことではなかったというだけ。

10年近くレイキから離れていたところから、突然レイキを思い出してまた再開したことで、
とんでもないスピードで覚醒が進み始めた。
私本人はよくわからないが、とにかく会う人会う人から「痩せたね!!!」と言われる。
食生活あれだけ欧米化しーの、身体に悪いものだらけ、酒、タバコは日常的からの、
まさかの大好きなジュースとかも受け付けなくなり、天然水生活となる。

当時片割れがこの水とサラダを食していたのを思い出した。バカにしてたのに、まさか私がそうなるか…。


これまでの食生活ができなくなり、とうとうメインは野菜、とにかくサラダが食べたくて仕方がない。もともと野菜を食べる習慣もなかったのに。
この変化に母は最初あんぐりしていた。
何をどうしたら短期間にこんなことになるのか?と。
私もわけがわからなかった。
けれど、やっと「身体の声」というものが聴こえるようになった。
ながら食いをやめたことで、食べることに意識が向き始めたり、身体からの声が聞こえ始めた。
明らかに食べすぎてたところから、添加物にも敏感になり、一口ずつ味わって感謝をして食べるようになり、結果的に食事の内容も摂取量も真逆になったのだ。
お酒もタバコも、「あ!もういらないわ!」って突然の変化。
そこには離脱症状とか、そんなものもない。
離脱症状が出るということは、やめたくないのに我慢して無理やりやめるから出るものであり、
もう私の身体には必要ない!と思うからそんなものは出ない。

薬も同じ。本当に苦しくて辛いとき、急性期に応急処置として摂取するのはいいが、
薬と共に生きてくなんて全く意味がなくて。
だって体調に現れる不調は魂や肉体からのSOSなのだから、それを薬で誤魔化してしまうことは
自分の肉体や魂を無視していること。
薬を否定しているのではなく、使い方が問題なのだということ。
私たちが生きていく上で肉体の健康も欠かせないが、それはレイキ等の気を整える手段で
もっと安全で自然な方法で、基盤を整えてあげる。
気が整えば血や水も整っていく。
結局全ては「気」だということ。

私自身まだ10代の我が子たちから、ハッとするようなことを教えられて生きているが、
肉体は子どもであっても魂は過去世からの輪廻転生を繰り返しているのだから、
ちゃーんと子どもたちの中にも賢い魂が宿っているのだ。
子どものいうことだと、バカになどできまい。
子どもには子どもの人格があり、主張したいと思うのもそこから。

そしてこのような一気に短期間で、レイキを再開したところから覚醒が大きく進んだのだから、
当然肉体もその変化に追いつこうと必死なのだ。
浄化浄化浄化。
これまで感じたことのないような激しい体調不良に見舞われているこの数日。
頭はカチ割れそうに痛すぎて、過去にないほどの痛みが続いた。
けれども不思議と怖さがないのだ。
決してスピリチュアルの知識だけを押し出そうとしているのではなく、危険な痛みではなく浄化反応でゆっくり身体を休め、自分と向き合うことを最優先にすべきであることを知っているから。
頭痛以外にも、腹の底から湧き上がるようなお腹の不快感、吐き気。
これは魂レベルで抑圧してきたものが、出たがっているから起きている。

私の場合は散々インナーチャイルドと向き合ってきて、1番最後に出てきたのは前の家族との関係であった。
約20年ツインフレームだと思っていた元パートナーは、実はカルマメイトであったこと。
そして、私の魂は片割れと約束してきたことを思い出す流れになった。
お互いに、まずカルマメイトと先に結婚して子育てをして、学びをして、それから今世で出会おう!と約束をしていた。
お互いがカルマメイトと結婚という学びをするという設定をして生まれてきていたのだ。
私の場合はすでに片割れに出逢う前から、長らく離婚を望んでいたが、まだ学びが進んでいなかったのでカルマの解消も進まず長年難航した。
そして、戸籍上は1年半前に一応円満に離婚したものの、数ヶ月前から雲行きが怪しくなり始めていた。

前のパートナー(カルマメイト)の誕生日と当時の結婚記念日を連日嫌というほどエンジェルナンバーとして見せられていた。
同時に子どもたちを通して、カルマメイトとのカルマ解消のために揺さぶり(現実的にいうと不快と感じるできごと)が起き始めていた。
だけど最近までずっと理解できなかった。
今更別れた人がなんなの?くらいに流していた。
けれど、無視すれば無視するほどに、嫌な現実が大きくなっていく。
私の大切な子どもたちが、現実的に苦しむ事態に追い込まれていった。
それでも気づかない私に、魂はやってくれた。
娘が発するカルマメイトの生き様を語れば語るほどに、これまでに感じたことのないほどの激しい怒りと吐き気に襲われた。
頭に血が昇るというのはまさにあのことだ。
どうして子どもたちにそんな対応の仕方するの?許せない!!!と、本当に頭の血管がブチギレるほどに怒る狂った。
けれど、そこで気がついたのだ。
私は前のパートナー(カルマメイト)に対しての怒りをぶつけていたが、それは実は
離婚をしてしまったことで子どもたちが苦しんでいるのでは?という罪悪感であり、
根本は私が私を責めていることが原因であった。
そこで自分に問うた。
私はあの子たちを産んだこと後悔している?
しているはずがない。望んで授かった子たちであり、どうしても産みたいと思った子たち。
だから私のあの時の選択に間違いもなかったし、
私は何も間違ってなかった、と思ったことで
子どもたちへの罪悪感、前のパートナー(カルマメイト)に対する激しい怒りは静かに消え去ったのだった。
ここに来るまでも何日ももがき苦しんだ。
カチ割れそうな猛烈な頭痛、激しく込み上げてくる吐き気。やり場のない苦しみで気が狂いそうだった。
もはやそこまできてしまうと、レイキにさえうまく接続できず、落ち着いて内観したくてもしんどすぎてそれすらできなくて。
もう宇宙に委ねるしかなかったのだ。
私はこの罪悪感、怒りを手放したい!と。

本当にきつかった。そこが私のラスボスだったのかもしれない。
けれど、不思議と解決できる!という自信があった。どれだけ闇の渦に巻かれそうになっても、私なら絶対大丈夫!という確信があった。
もうこれまでの私じゃないから。

感覚的にわかるのだ。
もう最終ステージにいることが。

やはりタロットの大アルカナは、人生のプロセスをあらわしている。私は今ジャッジメントにいる。完成はまもなくだ。

今思えば、私はなぜだかどこにいても目立ってしまった。私はとにかく自分を隠したい、小さくして人目に付かずに目立たないように生きたかった。けれど、若い頃から静かにその場にいるだけで目立ってしまった。
存在感があるとか、貫禄があるとか、そういったことを言われてしまう意味がわからなかった。
けれど、自身の身体の体質と生き方がまるで噛み合っておらず、苦しかったのだ。
マヤ暦にも出ていた。
本当の私は前に出ていくはずのお役目。
なのに、後ろに後ろに隠れようとして生きていたからチグハグで苦しかったんだ。
本当にやりたいことに気づいてあげれず、本来の魂の本質と真逆の生き方をしてりゃそりゃ苦しいわけだよね。
でも鏡となる片割れ同士は、片割れの才能や本質は見抜いてしまうものだ。
本人だけが気づかずに生きているということ。
私たちの場合はカルマは子どもに対する罪悪感。
だからずっと「子どもが子どもが」って、片割れは言ってたんだな。今なら意味がわかる。
子どもに対する罪悪感=自分を責めるエネルギー。それを受け入れて手放すこと。それが私たちの最大の課題だった。

私は自分に厳しすぎるのだ。
なんともまぁ、まだこの場に及んで自己統合すらできていないと自分を追い込んできていたから。
最近やっと気がついたのだ。
去年秋に突然統合のサインがきて、宇宙の情報操作にてYouTubeがどの動画も全て!!!222というあり得ないことが起きていた。が、私はとにかく概念に振り回されることが嫌いすぎて、222という意味すら理解できなかった。
でもいまならわかる。222と2が3つ。ハイヤーと魂と入れ物の私が一つになったという、自己統合のサインだったのだと。
それから今またあの頃と同じように222や555をみまくるのも、次の統合が近いこと。
思い込みとは恐ろしいもので、ツインレイ概念は本当だった。
自己統合すると一度再会して、またそれぞれが覚醒を進めていく。ただ私はあの時の再会でさえ、再会のうちにカウントしていなかった。
再会とは、必ず相手から連絡が来て待ち合わせをしていないと再会と数えないと思っていた。
だから、自己統合のサインが来る頃に、数ヶ月しつこいほどにその場所に誘導されるサインが来ていたのに。
まだあの頃の私は、片割れに会うことが怖くてたまらなかったから逃げていた。
そうやって再会せよ、と宇宙が伝えてきているのを何ヶ月も無視して再会を遅らせていたのは私だった!!!
宇宙元旦の日に、突き動かされて半強制的にまたその流れがやってきて再会したのだが、あの時はあの時でまだ浄化できていない課題が浮上し、
激しい感情が噴出して怒ったり泣いたり、とんでもなかった。
あれからまたサイレントに戻った。
だけど、もはや強がりは1mmもない。
寂しくなんかないんだ。というより、私が本気で自分自身に意識を向け始めた途端に
片割れが自分のハートに居座っていることに気づいたから。
なんなら私が呼ばなくても夢にも強烈に出てくる、何をしていてもめちゃくちゃアピールしてくるくらい追われている。私溺愛されてますー♡
本当だったよ、とにかく自分に関心をもつこと、
自分を大切にしていけばいくほど、片割れは追ってくる。絶対間違っていないこと。
そりゃ〜いてくれたら、嬉しいけど、
まぁ今のままでも私はすでにこんなに幸せなんだと理解できたし、
現実的に一緒に生きられなくてもそれでもいいって。
だけどさ、私ビジョンで見えるんだもん。
そこに片割れの執着は抜きに、本気で自分の人生を描いた時にやっぱり私たちは一緒に生きているのははっきりとみえている。
だから、私たちやっぱり最後は一緒に生きてくんだな、って確信に近い。
そのために、お互いがカルマメイトと向き合いながら、自分を深ぼって自分をよく知る期間が必要であった。

というか昨日から、また…
もう二度といかないだろうと思っていた場所への誘導が始まった。
揺さぶりなのかな?と思った。
今の私にとって、サイレントはありがたいものであった。もし引き離してくれなければ、私はこんなにたくさんのことに気づくこともできなかった。
ありがたかったなー宇宙さん!て思ってた矢先だったし、あーお試しね!って。
だけどそう思いながら、ただただ流されてくる情報を眺めていた。あまりに一日中何回も通知が来るのだ。いやいや、そんな手にはのらへんよー!って。
けど、けど。
やられてしまった。こんなことってありうる?
ただ閲覧していた。だけなのに。どこかでうーん?部署は違うとこだし、もう嗜好品卒業してるし、休憩室も使わないし、そもそも今度は再会することはないっしょ!と思っているので全く期待も執着もない。
ただ閲覧していただけ。が、最後の最後の確定ボタン……悩む間もなく勝手に手が動いて確定ボタンをタップされてしまった。
この衝動何度もあったんだ、実は。だけど、そこは私の思考ではないし、強制的に押さされそうな感覚から逃げてきた。
まぁ今回は相手のSNSではなくて、リアルな場所に関係したところなんだが。
まだ少し期日があるから、キャンセルならできる。が、これがどうして起きたのか?
それを検証したい。お試しで起きたことなのか?
再度課題のために?再会させる必要があって召集されているのか?
それを知りたくてあと何日か様子をみることにする。
って部署が違えば会いようがない!と思ってるけど。でも宇宙にミスはありえないから、何らか私の検討もつかないところで繋がる道があるのかもな。って、もはや片割れなら私の中にいるし、そんな場所で会うの嫌なんだよねーって思ってる。
じゃあキャンセルする?
あと数日様子見。

私の怒涛の覚醒、体調不良の寝込みとは逆に、
精神的にはかなり解放されてもう楽な私。
1番苦しいところを抜けた。
だが、ここにきてまた強烈な性エネルギーがきたり、ハートにズキズキ傷みが再開したので、
片割れは逆に私の後を追って向き合いを始め、苦しんでいるのだろう。
でも私はただ信じて見守るだけ。
あの人は何も心配いらない。私を守れるだけの強さがあるから、必ずひとりで這い上がって来れるから。それに私にできることは、私が心地よく、幸せに生きることだけ。
だから、私はとにかく自分が肉体も魂も喜ぶことを選択して生きることに専念する。
自分の力を信じてここまできてほしいから、そっと見守るだけ。

どうせ私たちはもともとひとつなのだから、
どうしたって離れられやしない。
もう何も怖くない。

散々手放しまくった人生。まだまだ手放したいことが出てきた、改名までしたい、もとの名前に戻したい!と思うので実行に移す。
それはただ、本当にまっさらに一度白紙に戻すこと。シンプルに私に戻っていくだけ。

魂の声もどこか俯瞰して他人事のように聴いていた私。けれど、最近は魂の私が私であることをはっきり認識している。
いきなり「今日もこんなに気持ちいい天気だよ?
幸せだねぇ。生かしてもらえるってありがたいね」って言いながら歓喜して涙が出たり、
私どうしちゃったんだろ?と思う段階も経て、
自然の偉大さ、美しさに感謝感謝。
でも時々えっ?て思う時もある。
運転中の渋滞の時にトイレに行きたくなって、トイレを探して切羽詰まってた時。
無事にトイレを見つけてセーフ!って時に
「やーっぱり地球っておもしろーい!たのしーいー」ってつぶやかれた時は、おいっ!!!!人間は肉体があるから大変やねん!面白がってんな!って思ったりするけど。
こうやって人間があたふたしてることでさえ、魂は面白がっている。
そうやって人間として喜怒哀楽さえも味わう体験をしたい魂。
ま、いっか。これも私。私ってやっぱり変わってる子なんだわ!って開き直る。

あまりにこれまでと違う視点で生きているから、
気づきの量や質も半端なくて、これまでのように更新ができるかは謎だが、書ける範囲で書いていこう。

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