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新・車窓から(1)

 娘がまだ幼稚園に通っていた頃、夏休みに随分祖父母に会いたがったので急に帰省した。
 当時は帰省に新幹線を使っていたのだけれど、この時は予定してなかったから切符を買っていない。帰省シーズンに今日の今日だから空いた席などないし、自由席では甚だ心許ない。仕方がないから鈍行で帰ることにした。
 よほど時間がかかるが大丈夫かと娘に確認したら、深刻そうな顔をして深く頷く。
「今から出て、着くのは夜になるけど大丈夫か?」
「大丈夫」
「途中で嫌になっても、帰って来れないぞ?」
「嫌にならない」
 どうも大分腹を括っているようだ。よほど祖父母に会いたいのだろうと感心した。
 じきに妻が娘の荷物を用意した。妻は家で留守番なのである。

 みどりの窓口へ行って、広島までの切符をくれと云ったら、「今日はも満席なんで、自由席になります」と駅員が言う。鈍行ですと教えたら、「おっ、鈍行で広島ですか」と言ってニヤニヤニヤした。切符を受け取ると、「頑張ってください」と激励された。
 名古屋から電車に乗ると早速席が空いていない。一人分の席はちらほら空いているが、娘は知らない人の隣に一人で座りたがらない。床に座らせるつもりで用意して来たビニールシートを取り出したら、「お父さん、ここへどうぞ」と、知らないおじさんが席を移動して、二人分を空けてくれた。
「ありがとうございます」
「どこか遠くへお出かけですか?」
 親子でリュックを背負っているものだから、遠出とわかったのだろう。
「広島」と娘が言った。
「広島? 遠くまで行くねぇ」とおじさんが笑った。


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百裕(ひゃく・ひろし)
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