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ねじれ

 二十年ばかり前、工場へ人を派遣する仕事をしていた。自分は営業職だったのだけれど、ある時出社すると営業所長の伊藤茶が深刻な顔をして「頼みがある」と云ってきた。
「何だい?」
「今日はこのまま帰ってもらって構わないから、明日から二週間ばかり、◯◯工場の夜勤に入ってくれないか?」
「は?」
「ライン作業じゃぁなくて、管理の方だよ」
 夜勤チームの管理者が急に辞めてしまったから、その代理ということだった。
「それは本当に二週間で済むのだろうね?」
「□□事業所から管理者を一人回してもらうよう話をつけてあるんだがね、云っていきなりというわけにもいかないのだから、先方の引き継ぎと準備に二週間ほしいと云うのだよ」
 どうも面白くないのは、その案が茶でなく、伊地知が出したものに違いないからで、果たして伊地知は先刻から茶の向こうで窺うような目をして、こちらをちらりちらりと覗いている。
 伊地知の考えで自分が振り回されるのは甚だ気に入らない。けれども筋書きがしっかり出来上がっているから、断るにはそれなりの理由が必要だ。そして残念ながら、理由に使えそうなネタは思い当たらない。
「きっと二週間だね?」
「ああ」

 念を押しておいたにもかかわらず、茶は二週間後に「すまん、もう一週間だけ頼む」と言って来た。
 苦々しい顔をしながらもう一週間やったら、「本当にすまん、もう一週間」と言って来た。
 臥薪嘗胆の思いでもう一週間やり、また言って来たらその時は茶と伊地知の小指を折りに行くつもりでいたら、今度は云って来なかった。それで自分の夜勤生活は終わった。
 それからじきに職を換えたけれど、それはまた別の話である。

 夜勤の四週間は、いつもコンビニで烏龍茶を買って出社した。どこのメーカーだったか忘れたが、ねじれた形のペットボトルに入っていた。
 その後、名古屋駅前に同じ様なねじれた形のビルができた。何だか近未来の雰囲気だから、なるほどこれが噂のトヨタ新本社かと感心した。
 一度、他県の人を案内した際、「あれがトヨタの本社ビルだよ」と教えたら、先方も「おぉ、あれが……」と大いに感銘を受けた様子だった。
 後になって、そのねじれたビルはモード学園で、トヨタ本社はねじれていない別のビルだと知った。
 嘘を教えた形になって甚だ気持が悪いが、訂正しようにも先方の連絡先はもうわからない。全体、わざわざ知らせるほどのことでないようにも思われる。どうしたものかと、片付かない心持ちがしてしばらく困った。

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百裕(ひゃく・ひろし)
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