居場所
横浜のパスタ屋に赴任してから少し経った頃、「喫茶店を探しているんだって?」と店長が言ってきた。店長は自分より三つばかり年上で、柳葉敏郎に似た人である。
当時自分は、休日にのんびりできる店を探していた。やっぱり観光地だから喫茶店は近くにいくつかある。けれども、観光客ばかりを相手にしているような店では落ち着かない。一人で気軽に入れて小一時間も読書のできる店となると、しっくり来るところは存外ない。それでどこかいい店を知らないかと、地元のバイトに訊いたのが店長に伝わったのだろう。
バイトの大半からまだよそ者扱いで距離を置かれているのは承知しているが、「百さんから、どっかにいい喫茶店知らないかって訊かれました」など一々店長に報告する者があると思ったら、何だか気持が悪い。
「休みの日に本読んだり、のんびりできる店を探してるんですよ」
「店じゃぁないけど……、俺は休みの日とか、よく寮の屋上で煙草吸ってるよ」
店長が意外なことを言い出した。
「屋上ですか?」
「うん、落ち着くよ。眺めも良いし」
「階段で行けるんですか?」
「そう。鍵は掛かってないし、立入禁止とも書かれてないから、入っていいんだろう」
店長も自分も同じ賃貸マンションの一室に住んでいた。寮と云うのはそのマンションのことである。
次の休みに屋上へ行ってみた。
マンションは中華街の端にあって、八階建だから山下公園の辺りまで見える。なるほど、確かに良い眺めだ。ビルの屋上から横浜の港を見下ろすなんて、まるで草刈正雄のようだと感心した。そんなドラマが昔あった気がするが、本当にあったかは判然しない。
何かの紙くずが風でカサコソ転がった。見ると店長がいつも吸っている煙草の空箱である。それを眺めながら、バイトのボスを一人辞めさせたことを思い出した。
その後、港の見える丘公園の中で良い店を見つけたけれど、あんまり行けずにいる内に、またよそへ異動になった。
その時にはもう店長も他へ行き、店のバイトもほとんどが入れ代わっていた。