教える人を作るのは、教えられた経験である
後輩に教えることは大変ですね。教える時間は無いし、ハラスメントには細心の注意を払う必要はあるし、感謝されないどころかクレームをもらうことだってある。
「時間を取って教える事が如何に大変か、教える立場になってはじめて分かりました」そんな言葉を職場で何度かもらいました。
しかし、ずっと後輩たちを教えてきて、ある一つの事に気が付きました。それは、自身が先輩に教育してもらったという想いを持つスタッフ程、自身が指導者になった時、熱心に指導をしているということです。
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澤田直也は、大学を卒業し働き始めて9年が経過した。前年度、前任者から澤田が教育担当者を引き受けた。その時、自分の教育に対する知識の少なさに気が付き、日々教育について学んでいる。
澤田が勤める病院は、若いスタッフが人数が多い。そのため教育のシステム作りだけではなく、スタッフ教育も澤田の主要な仕事の一つになっている。
ある日後輩指導について、部下の大谷から相談があった。
「ちょっと聞いて下さい」
「どうしたの?」
「もう後輩を育てるのが嫌なんですよ」
「まあまあ、、、ところで何で嫌なの?」
「だって自分の時間を長く使って、感謝されないことも度々あるんですよ」
「まあ、そういうところもあるよね」
「でも、澤田さんは時間をかけて教えてくれたじゃないですか」
「大したことはしてないのだけれど、、、例えば、、、そうだね何で教育って必要なんだろう」
「え、それはあまり考えた事が無かったです。科長も指導しろって言うし、、、、、」
大谷は適当な回答が思いつかず、黙ってしまった。
「こんな話に答えはないのだけれど、僕の話をしても良い?」
「もちろんです」
「僕の場合は業務後に先輩が残っていろいろ教えてくれたんだよ。不器用だったから、まあ教える側も大変だったと思う」
「あまり想像がつかないですが、、、」
「それだけお世話になったって事だね。だけど僕は先輩にほとんど何も返していない。だからさ、してもらった分ぐらいは後輩に返したいと思うんだ」
「そんな発想もあるんですかね、、、」
澤田はちょっと恥ずかしがりながら
「そう考えると教育って、その後輩と担当している患者さんのためだけじゃなく、今後職場に入ってくる後輩とその子が担当する患者さんのためにもなる。そう考えると職場の文化づくりの一部になっているのかもなんて考えたりもするよ」
大谷はちょっと考えた後、ぽつりと言う。
「でもやはり、教育は大変です」
「それはそうだね」
「出来る範囲でやってみようかなとは思っています。だから澤田さんも手伝ってくださいね」
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「教える人を作るのは、教えられた経験である」表題のこの言葉の重さを度々感じています。