ひさびさにシブラクへ行った。 一之輔の笠碁。何度か聴いているはずだけど、多分毎回新鮮に笑っている。 落語において碁ってやたら出てくる印象があり、大抵仲良しの男性同士のツールとして使われてる。将棋より格段に頻度が高いとおもう。なんかまんじゅう大帝国のラジオ(今はもうないgeraでやってたやつ)でそんなようなこと言ってたし、笠碁の話もしてた。 笠碁にでてくるのは幼馴染のおじさん2人。お互いそれなりの大店の主人となり、暇になってからはずっと碁を打ってすごしてる。でも2人とも大し
こんな折だが福岡に行った。 東京で振られまくったミュージカルの博多座公演を見に。 一人で行くことになったので、適当にあれこれした。 夕方の公演を見るために朝の飛行機に乗る。そこまで早い便じゃないけど不安で、蒲田とかに前乗りしようかとギリまで思っていたが問題なく起きれた。 なんとなくモノレールに乗っていくのが好きだ。あそこからもう空港。ゆりかもめに乗った瞬間からお台場みたいな感覚があるのといっしょ。あと河口とか海の水面がキラキラしてるのを見るとテンション上がるからだともおも
ダウ90000の本公演を見た。 ダウ90000と入力するとき、私は数字が弱すぎるので「じゅう、ひゃく、せん、まん」とカウントしながら0を入力していた。何度か打ったら予測で出るからよかった。 コントを何度か見たことがあったけど、本公演は初めてだ。 どんな感じかなーと思ったら、めちゃくちゃよく出来た演劇作品でびっくりしてしまった。びっくりして、渋谷の街からまっすぐ帰れなくて、新宿まで歩いた。なんかこう、カッカして発散しなきゃ!と思うくらい楽しかったのだ。 会話のテンポが良かっ
お笑いライブに行くようなノリで落語を聞きに行くようになった。かなりまんじゅう大帝国の影響が強いが、あとは寄席にぽつぽつ行っていたら、ちょっとこの人を追いたいなという若手の方を見つけたからというのもある。 落語にははっきりと階級がある。 完全な見習い期間の前座。寄席では開口一番、幕開けすぐの高座を務めるが、前説のようなノリなので香盤(寄席の出演予定表)には載らない。 次が二つ目。落語家、として活動を許されるが弟子は取れない。なので落語家だけど師匠とは呼べない若手。 二つ目を1
雪組公演を見ました。 メモポエムです。ネタバレがあります。 向こう3年は第五や第九を聞くと泣くだろうと思います。 ベートーヴェンがさまざまな挫折を経てなぜ第九を書き上げるに至ったのかと言うはなし。 ベートーヴェンとナポレオン、ゲーテが話を動かす。ゲーテはホレイショのように全てを見届けるひとっぽかった。 何もかもすっ飛ばして最後の話。 全てを失い最後の灯火が消え、ナポレオンと邂逅するとき。 ナポレオンとルイは音楽と戦争に近似を見出す。それは陽キャと陰キャが意外な共通項で盛
もう気が遠くなるほど周回遅れだけど、「漫才じゃない論争」関連の自分の中での整理のために文章化してみました。 M-1後に降って沸いた例の論争のときに、そう言えば父親もそんなこと言ってたなーと思い出した。コントに入るなら漫才じゃなくていいじゃないか、みたいな軽口だ。 私はその時全然違うのに何言ってんだろ、と思ってスルーした記憶がある。 でもよく考えたら自分の中でも何が「全然ちがう」の根拠なのかわかんない。でも感覚的に全く違うものとして「コント漫才のコントパート」と「コント」を
生きながらにして向こうへ行ってしまった人がいる。 気のいい先輩だったが、卒業して恋人と別れたか、音楽で食っていくことに挫折したか、なんかそんなタイミングと同じくしてマルチにハマった。 最初はみんなそのうち目を覚ますだろうとネタにしていた。「おまえんとこきた?」「まだ」「なんだよー仲良かったのに」「こっちにきたよ、水って大事だよな!だって」「まじかよ」 そんなわけないだろう、すぐ飽きて戻ってくるだろう。 だって数々のひどい酷い冗談で笑い合った仲だ。私たちは"わかってる"はずだ
酒が飲めない。大学入学時にアルコールパッチテストでてきめんに赤くなった瞬間、父親の体質を受け継いだことを悟った。酒豪の地で紡がれだ下戸の遺伝子は伊達では無い。ビールの景品コップ半分も飲んだらで終わりなのだ。 まだ学生の頃はなんとか体力でぶん回していて飲み会にも行けていたけど、この前檸檬堂のはちみつ檸檬(3%だ!)を半分飲んで念のためポカリも飲んだが翌日二日酔いで吐いた。 安居酒屋で適当なサワー飲んだり、公園で発泡酒飲んだりするのはギリギリできたが、寿司屋のカウンター卵焼きで
もう正月も遠い過去に思える。 今年はおせちを買って食べた。帰省しない分関東にいる妹のところで何かしようと思って。おせちの文化のない家だったので、ちゃんと食べたことがなかったのだ。 なるほどこれはお茶請けとおつまみの詰め合わせで、こうして昼ともなく夜ともなくだらだら食べるためのものなのだなと理解した。 まあ別にもういい。もちのほうがうまい。あんこもち、きなこもち、くるみもち、雑煮をくう1月1日こそ正しい。こんどは永遠に餅を食い続ける正月であって欲しい。コロナめ。 お雑煮は簡
実りゆくが公開になった。 私は運良く試写会が当たり既に見ていて、初日映画館に行けていないのだけど、TLに流れる感想に、そうでしょうそうでしょうと全自動赤べこの如くうなずいています。 みんなの感想を見たくて仕方がなかったので嬉しい。 ここから全くネタバレに気兼ねせず書きます。 「実りゆく」のことを事前の印象だと完全にふんわり邦画だと思っていて、ああなるほど竹内さんの大泉洋みを増幅させてしあわせのパンとかぶどうの涙みたいなやつに、タイタンのお笑いをスパイスにするのかな?と今思え