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笠碁

ひさびさにシブラクへ行った。
一之輔の笠碁。何度か聴いているはずだけど、多分毎回新鮮に笑っている。

落語において碁ってやたら出てくる印象があり、大抵仲良しの男性同士のツールとして使われてる。将棋より格段に頻度が高いとおもう。なんかまんじゅう大帝国のラジオ(今はもうないgeraでやってたやつ)でそんなようなこと言ってたし、笠碁の話もしてた。

笠碁にでてくるのは幼馴染のおじさん2人。お互いそれなりの大店の主人となり、暇になってからはずっと碁を打ってすごしてる。でも2人とも大して上手くない。碁ってのはおんなじぐらいの力量の人同士でやらないと楽しくないらしい。(だいたいのゲームそうじゃないか?ともおもうが、ジャイアントキリングが起きにくいみたいなことだろうか)

んで、2人してしょっちゅう"待った"をかけるもんだからちっとも上手くならない、それはいけないと碁の先生にも言われたから、待ったなしでやろうと決めたけど、まあ案の定すぐさま待ったがかかる。

片方は頑なにそれを認めない。すると痺れを切らし過去の恩をこれみよがしに話し始める。十年前に金を貸したこと子供の頃に雨の中待ちぼうけを食らったこと…そんなんでゴタゴタしだして「絶好だあ!」となる。
ふつうだとサゲは、わざわざ雨の中、菅笠でやってきた幼馴染を招き入れて許し、はしゃぎながら碁を打つと盤の上に雨垂れが…なんだ?雨漏りか?あっ!おまえ笠被ったまんま!
でおわる。宿屋の富でくじが当たった客が草履履いたまんま布団被ってるのとおんなしようなサゲ。

一之輔はその後ちょっと続けた改変オチにすることで、子供の時から2人のメンタリティが変わっていないだろうこと、周りはおそらく何度かこういうゴタゴタに付き合わされているであろう空気などがより強まっておかしい。
というか、草履のまんま!もかさのまんま!も確かにサゲとしては、で?ってなっちゃう。考えオチっぽいけど「そのぐらい混乱してる」ってだけだから、そらそうだろという。

ちなみに笠碁はコロナの時に配信してくれてる
https://www.youtube.com/live/bk4egvmFjrk?si=sQ3jKfXvCix25Esa

落語の楽しいとこってどこ?と聞かれた時に、私にとってはこういう噺家ごとの違いが楽しい。切り捨てたものや、足した部分、引き継いだところが見つけられると、その人にとってなにを「面白い」と思ってるのかが垣間見える気がする。たぶんそういうとこから、「面白」のツボが合う人や噺を見つけてくことが、私にとって落語の楽しさだなたぶん。

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